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武用亜希子さんのセラピストライフ〜個人セラピスト

2022/03/27
武用亜希子さんのセラピストライフ〜個人セラピスト

 横浜や東京で8年、岡山で12年に渡って、個人サロン&スクール「ハワイアンリラクゼーションサロン ぷめはな」を営んでいる、武用亜希子さんのセラピストライフを紹介します。

【育成セラピスト】編はこちら

 

 武用さんが提供しているのは、ハワイの伝統療法「ロミロミ」。

 

 ロミロミとは、ハワイ語で「揉む」「混ぜる」という意味で、「マッサージ」を指す言葉としても使われ、武用さんいわく「ロミロミとは、手から伝わる愛情」なのだそう。

 

 ロミロミには施術する人によって様々なスタイルがあるようですが、武用さんのスタイルは「オイルマッサージとストレッチの要素のある力強いロミロミ」で、お客様からは、「パンように捏ねられたみたい」とか、「遊園地みたいに、いろいろな要素がある」「今まで受けたことがない感覚」と喜ばれるそうです。

 

 武用さんは、いつもお客様と楽しくお話をする中で、その方の体調や気持ちを聞き出してアレンジしていくため、施術は「100人いれば、100通りになる」とのこと。

 

「“おしゃべりサロン”と言われるほど、お客様とよくお話をします。対話することをハワイ語で“クカクカ”と言いますが、カウンセラーのように聞くわけではなくて、その方のことを知りたいという気持ちで聞いています。サロンの来てくださったお客様1人ひとりに寄り添うことを心掛けています」(武用さん談)

 

 武用さんにセラピストを始めたきっかけを聞くと、「実は、学び始めるまで一度もマッサージを受けたことがなかったんですよ」と笑顔で答えてくれて、これまでのことを振り返ってくれました。



心に残った「世界のマッサージの中でロミロミが一番気持ちいい」という言葉

 武用さんは昔から人と関わることが好きで、20代前半の頃の彼女は販売接客業やOLをしながら、ゆくゆくは人と関わる事業で独立することを目標にしていました。

 

 当時は「癒やしブーム」だったこともあり、習い事の情報誌を見て、何かセラピースキルを身に付けようと考えたのだそうです。

 

 最初はリフレクソロジーを身に付けた武用さんですが、それだけでは飽き足らず、さらにエステやロミロミ、アロマテラピーの学校にも通ったとのことです。

 

 当時、あまり知られていなかったロミロミを学んだのは、リフレクソロジーを学んでいる頃にある講師が言った「世界のマッサージの中でロミロミが一番気持ちいい」という言葉がなぜか心に残っていたから。

 

 そして、もっとも長く学ぶことになるのは、このロミロミでした。

 

 こうして武用さんは2001年に横浜市磯子で独立開業しました。

 

 当時はロミロミの認知度が低いこともあって、「アロマテラピー&リフレクソロジーサロン ぷめはな」という名称でサロンをオープンしています。

 

 しばらくしてロミロミの認知度が上がっていき、また自分が学んだものを人に体験してもらいたいと考えるようになり、ロミロミを前面に出すようになったそうです。

 

 その後、2003年に彼女は結婚しますが、同年に横浜のホテル、2004年に赤坂でサロンを次々とオープン。事業を広げていくことに力を注いでいた時期でした。

 

 当時の武用さんは技術にこだわっていて、お客様に「今まで受けた中で一番気持ち良かった」と言ってもらうことにやり甲斐を感じていたそうです。

 

 セラピストとして好スタートをきったように思えますが、彼女にも自分のセラピストライフが揺らいでしまう時期が訪れます。

 

 好立地のサロンを維持するために、いつも売上を気にして仕事をしていたこと。

 

 そのために子どもの世話を十分にできず、家族に負担を掛けていたこと。

 

 そうしたことが心にわだかまっていき、第二子の妊娠を機に2005年にすべての店を閉じます。

 

「自分は仕事に向かないんだと思ったんです。利益のために仕事に集中しすぎて、家族をダメにしてしまうんじゃないかと。だから、これからは自分のシフトを家族に合わせようと決めて、HPにも休業することを宣言しました」(武用さん談)



ロミロミは愛がすべて。

 いったんセラピストとしての歩みを止めた武用さんでしたが、それでも彼女のセラピストライフの幕は下りませんでした。

 

 休業宣言から2ヶ月ほどした頃に、「ロミロミを受けたい」「教えて欲しい」という問い合わせが彼女のもとに届くようになったのです。

 

 「ああ、私は呼んでもらえたんだ。すごくありがたいな」と、人に必要とされる喜びを感じた武用さんは、本格的なサロンは無理でもスクールならばと、横浜の自宅の中にスペースを作ったそうです。

 

 こうしてしばらくの間、武用さんはスクールをメインに活動を続けることになります。

 

 武用さんが岡山に移住したのが、2009年。

 始めは自宅サロンから再スタートして、その後、現在のサロンで活動するようになったということです。

 

「ロミロミを学び始めた頃、先生から“ロミロミは愛がすべて”って言われたんですけど、その頃の私は“技術がすべてでしょ”って思っていたんです。だから、“一番気持ちよかった”とお客様の言って欲しかった。」

 

「今でも気持ちいいと言ってもらえることは嬉しいけど、そのためにがんばるというのとは違うように思えます。褒めて欲しいからロミロミをするのではなくて、自分の心から愛が溢れているから、それを手からお客様に伝える。溢れ出すのだから、愛は枯れない。そういうことを、これまでの経験の中で学んでこれたように思えます」(武用さん談)

 

 武用さんは、これまでの歩みを振り返って、「恵まれているからできるんだな、と思う」と話してくれました。

 

 旦那さんやお子さんはもちろんのこと、自分の親、旦那さんの両親の理解があってこそ、続けてこられたのであり、セラピーを求めてくれるお客様にも感謝の気持ちで接しているそうです。

 

 さらに、お客様の“細胞1つひとつ”にも感謝して施術しているそうです。

 

 今、ロミロミをできることに感謝していると、本当に幸せそうに語る武用さんの笑顔がとても印象的なインタビューでした。



校長からのメッセージ

 現在、「ハワイアンリラクゼーションサロン ぷめはな」に来店するお客様のほとんどはリピーターで、多くは40〜60代。本場ハワイに倣って、男女問わずサロンにお迎えしています。

 

 2.3ヶ月毎に一度利用されるリピーターは120分コース(14,000円)といったロングコースの利用が多いとのこと。

 

 新規客はWEB版のフリーペーパーからのご予約の方もいますが、多くは友人や家族からの紹介なのだそう。

 

 中には親族8人でサロンを利用しているケースもあるとのことで、リピーターからの信頼の厚さがうかがえます。

 

 さて、今回のインタビューでは、武用さんのセラピストライフが二期に分かれていることに焦点を当ててお話をうかがいました。

 

 インタビューをする前までは、関東から岡山への移住がターニングポイントになっているのだろうと、私は想像していたのですが、実際にお話を聞いてみると、ターニングポイントはそれよりも前に訪れていたことが分かりました。

 

 サロン開業を夢見るセラピストの多くは、緩やかであったとしても右肩上がりの成長を想像していることが多いかもしれません。

 

 しかし、実際のところ、ずっと右肩上がりになることはほとんどなく、停滞することもあれば、下り坂になることもあるし、彼女のように歩みを止めるケースだってあるのです。

 

 もちろん、下り坂や足を止めた時期にセラピスト業界から離れてしまうケースも、少なからず耳に入ります。

 

 武用さんの場合、リ・スタート(再起動)するきっかけがあり、さらにそのための環境にも恵まれたことで、20年にわたってセラピストライフを歩み続けてこられたことが、インタビューでうかがえました。


 

 ここで私が思ったことは、「現役のセラピスト」とはどんな存在なのか?ということでした。

 

 サロンを持っていることや、規模や収益を上げ続けることが、「現役のセラピストの絶対条件」なのだろうか?と。

 

 きっと、そうではないのだろうと、私は考えています。

 

 武用さんは、収益確保に奔走するうちに、自分が家族のバランスを崩してしまうのではないかと恐れを抱くようになり、収益第一とすることから遠ざかる道を選びました。

 

 本当にその恐れが現実のものとなりえたかどうかは知るよしもありませんが、その恐れがセラピストとして歩む足に絡みついたのではないでしょうか。

 

 実際に彼女は足を止めましたし、迷いや心配を抱えたままのセラピーでは本来の力を発揮できないことを、多くのセラピストが体験しているはずです。

 

 そんな彼女を救い出してくれたのは、彼女のセラピーを求めてくれる人たち(お客様)であり、再びセラピストとして活動することを許してくれた人たち(家族)の存在だったように思えます。

 

 武用さんが自宅のスペースでリ・スタートできたのは、それを家族も、お客様も許容してくれていたからでしょう。

 

 もしかすると、武用さん本人が自分を前に進ませることを許すための過程でもあったのかもしれません。

 

 セラピストとはどういった存在であるべきなのか?

 その想いが変化したことが、実は彼女にとってのターニングポイントになったのではないでしょうか。私はインタビューの中でそう感じました。

 

「セラピストを目指す人から、“何があればできるのか”と聞かれたら、できることをすればいいと言ってあげたい」と笑顔で語ってくれました。

 

 実際にリ・スタートした彼女は、自宅サロンに男性のお客様をお迎えすることができない状況で、近くの公民館を借りることもしていたそうです。

 

 しかも、ベッドを運ぶのをお客様に手伝っていただきながら! 

 

 お客様はもちろん、セラピスト本人も、そうしたセラピーの在り方を許容することさえができれば、セラピーは成立してしまうのかもしれません。

 

「もちろん場を作ることもすごく大事だと思うけど、声を掛けてもらえたのなら断らず、“私がご用意できるのはこれだけです。これでよければ”と提示してみる。それでも来てくださるなら、ありがとうございますって感謝の気持ちで施術に臨めるのではないでしょうか」(武用さん談)

 

 都心で活動するセラピストにとって、地方への移住と聞けば、活動を継続できるかと不安になる人も多いでしょう。

 

 しかし、「どこであれ、できることをすればいい」と考えれば、いつでもどこでも「現役のセラピスト」でいられる。サロンを持たなくても、別の仕事に就いても、「現役のセラピスト」であってもいい。

 

 セラピストであることが、生きること(ライフ)そのものであると、多くの人が思えるようになれば、きっとセラピストの活動領域は無限に広がっていくのでしょう。


ハワイアンリラクゼーションサロン ぷめはな