東京都新宿区にて、2015年からサロン「Warm Beauty」のサロンオーナーセラピストとして活動しながら、後進の指導も行っている、村岡利枝さんのセラピストライフを紹介します。
【育成セラピスト編】はこちら
村岡さんはセラピスト歴11年。新宿御苑駅から徒歩2分の場所に、彼女のサロン「Warm Beauty」はあります。サロン名には、「体と心を温めて、美しくなって欲しい」という思いが込められています。
現在、サロンには村岡さん以外にも5人のセラピストが所属していて、村岡さんはスタッフのマネージメントとスクール講師としての活動に比重を移しているそうです。
村岡さん自身が施術するのは、ずっと通ってくださっているリピーターさんからご指名があった時などに限られていて、できるだけスタッフのセラピストに経験を積んでもらいたいと考えているようです。
「Warm Beauty」のメインメニューは、彫刻リンパⓇによるボディ、フェイシャル、ヘッドへの施術と、それらを合わせたトータルコース。客層は30代後半から60代ぐらいで、男女比では女性8で男性2くらいとのことでした。
「彫刻リンパⓇについて、私の言葉で表現するなら『最も深いコミュニケーション』。手を通して、お客様の一番深いところを感じることができるんです。筋肉や臓器の硬さで、その人が何にストレスを感じてるのかとか、どういう状態なのかを感じ取れることもあるので、『体や臓器の声が聞こえる』ような感覚があります。人って口で言っていることが必ずしも本音ではないけど、お体の情報を施術する手では本音がビンビン伝わってきて、その方のことが言葉以上に分かることがあるんです」(村岡さん談)
こうした施術の特徴に加え、的確なカウンセリングがリピートにつながっていると、村岡さんは言います。
お客様がどんな問題点を抱えていて、どんな課題に向き合っているのか。施術の目的や目指す目標を、お客様の内側から引き出すこと。そして、目標に向かって着実に歩んでいけると、施術によって実感してもらうこと。それを村岡さんは大切にしているそうです。
つまり、カウンセリングでお客様の声に耳を傾け、施術でお客様の体の声を感じ取るという、意識と無意識の両面からの向き合い方が、彼女のスタンスであるようです。
現在はオーナーセラピストとして、スタッフのマネージメントに活動の軸を移している村岡さん。
聞けば、現在のスタイルになったのは4年ほど前からなのだそう。
それ以前の村岡さんはスタッフの先頭に立って、自らたくさんのお客様をお迎えしていたと言います。
村岡さんがどんな経緯で現在のスタイルにシフトしたのか。セラピストになったきっかけも含めて、これまでの歩みを伺いました。
ベースに流れているのはセラピストの成長
セラピストとして活動する以前、村岡さんは「体を温める女性用下着」を販売する会社を経営していました。
彼女自身、若い頃に極端なダイエットによって冷え性になり、貧血・便秘・肥満などの体調不良に長く悩んだのだそうです。
村岡さんは同じ悩みを持つ女性たちの力になりたいと、体を温めることの大切さを伝えながら、そのためのアイテムを提供する事業に力を入れてきたのです。
そんな彼女に起きた2つの出来事が、大きな転機をもたらします。
1つは、長くお付き合いしていた若いお客様を病で亡くしたこと。
その方は健康意識が高く、体を温めるために村岡さんから下着を購入していました。
ですが、常に同じ下着というわけにはいかなかったのでしょう。
村岡さんは下着だけでは現実的な解決策として不十分なのでは、と考え始めたそうです。
もう1つは、2011年の東日本大震災。
村岡さんはボランティアとして現地に入って活動したのですが、体の冷え切った被災者に何もして差し上げられない、という無力感を感じたそうです。
この2つの出来事から「温める下着だけでは、出来ることに限界がある」と痛感した村岡さんは、震災ボランティアの縁で「彫刻リンパⓇ」の創始者と出会います。
そして、その施術を体験して衝撃を受け、自身も施術を学ぶことを決心しました。
「先生に首と肩を少し施術してもらっただけで、体全体がポカポカ温まったんですよね。この2本の手があれば人を温めることができる。それが当時の私にとってはすごく衝撃的なことでした」(村岡さん談)
彫刻リンパⓇを学び始めた村岡さんは、3ヶ月のレッスンの間に、座ってできる簡単な施術を含めて100人の体に触れさせてもらい、経験を積んだそうです。
なんと、飲食店で隣になった方にも、施術を受けてもらっていたと言うのですから驚きです。
そして、スクール卒業後の2013年に、村岡さんは自宅でサロンをオープンさせます。
知り合いのサロンの一角を借りてさらに経験を積み、8年ほど前に新宿御苑エリアにサロンをオープン。その後、同じエリア内で1度移転しています。
こうして村岡さんは、セラピーとの衝撃の出合いから、駆け抜けるようにサロンをオープンさせ、リピーターを増やし、スタッフも増やし、サロン運営を安定させてきました。
セラピストとして順調にステップアップしてきた彼女が、自分の活動スタイルを変えたきっかけ。
それは、里親になると心に決めたことでした。
命を預かるということには、どんな形であれ大きな責任が伴い、時間も体力も気持ちも、そちらに注がなくてはいけなくなります。
村岡さんは、それまで通りのサロンワーク中心の働き方ではその責任を果たせないと考え、一時的にサロン経営が落ちることも覚悟した上で、新しい活動スタイルの模索を始めました。
まず、お客様全員に事情を伝え、サロンに立てる時間が減ることを説明しました。
応援してくれる方もいましたが、村岡さんの施術を受けられないのであれば、と離れていく方も少なくなかったそうです。
また、村岡さんの施術を目当てにアクセスしてくる新規のお客様も、減ってしまったそうです。
自分の生き方とセラピストとしての活動スタイルを大きく組み換える中で、村岡さんが自分に問うたのは「自分のミッションは何だろうか」ということでした。
それまでの彼女は、冷えなどの不調に悩む女性のために、そして自分に技術を伝えてくれた先生のために、できることを探しては実行して、がむしゃらに道を切り拓いてきました。
そのおかげで、サロンは安定し、スクールにもたくさんの生徒を迎えることができ、また協会で理事にもなりました。
しかし、里親になることをきっかけに自分の生き方を振り返った時に、村岡さんはいつの間にか、自分が「セラピストらしく」「サロンオーナーらしく」「理事らしく」という言葉に縛られてしまって、本当の自分を見失っていたことに気が付いたそうです。
「自分の心の琴線に触れるものは何かと考えた時、サロンを始めて以来ずっと続けてきたスタイルのまま売り上げを伸ばずことに、もうワクワクしなくなっている自分に気付きました。それに、自分の立場を基準に行動や言動を選択していることにも気が付いたんです。だから、自分らしさを再構築しようと考えたんです。その結果、『幸せなセラピストを育てるんだ』ってことに帰着したんですよね」(村岡さん談)
そして、村岡さんが実践し始めたのが、「独立できるレベルまでスタッフを成長させて、スタッフを中心にサロンワークを回し、自分はマネージメントに軸を移す」というものでした。
「『幸せなセラピスト』というのは、心が満たされているだけじゃなくて、経済的にも自信を持って活動できることが大切だと思います。ですから、スタッフにはウチで3年くらい勤めてもらう間に、施術と物販を合わせて月間100万円以上稼げるセラピストになってもらおう、と考えました。つまり、独立してもやっていけるセラピストになってもらおう、ということですね。独立する時には担当のお客様を全員連れて行ってもいいと思っています。私のサロンを『幸せなセラピスト』を育てるための『サロンだけどスクールみたいな場所』にして、私はスタッフの成長を助けながらサロンを回すマネージメントをすればいいんだ、というのが、私の新しいテーマになりました」(村岡さん談)
村岡さんはセラピスト歴10年目にして「彫刻元年」と宣言し、自分の新しいスタイルの軸を見定めました。そして、1年半ほどかけて、村岡さんはサロンの体制を新しく整えたそうです。
例えば、指名のない新規のお客様については、相談内容や年齢・性別によって、相性の良さそうなセラピストを割り当てるような工夫もしているのだそう。
今ではスタッフごとに指名が増えてきて、「サロンで私の顔を見ても、オーナーだって知らないお客様も増えてきたんですよ」と村岡さんは嬉しそうに笑います。
先輩セラピストが新人スタッフに教える姿を見るのも、村岡さんにとっては「ホッコリと心が温かくなる」ような幸せを感じる瞬間なのだと話してくれました。
村岡さん本人が「本当は、私は前に出る柄じゃないんですよ」と言うように、今のスタイルは思った以上に彼女に合っているそうです。
「自分が関わったことで人が成長していくのを見るのが、私はすごく好きなんです。そこに関われることに自分の存在価値を感じているし、それが今の生き方の醍醐味なんです。たとえば、セラピストがそれぞれのパーソナリティを活かして、その人らしく輝けるようなプランニングを一緒にしていきたいですね。私は『幸せなセラピストをたくさん世の中に輩出するプランナー』でありたいんです」(村岡さん談)
人の悩みを解決し、喜ばせ、輝いて欲しいと願うこと。それは多くのセラピストが持つ特性なのでしょう。
それをお客様に対して発揮するか、スタッフのセラピストに向けるかの違いだと考えると、確かに第一線のセラピストからサロンマネージャーへの移行はとても自然なものだと思います。
自分が喜びを得られるポジションにいることで、誰かの幸せを助けられる。
それが、社会の前向きな在り方なのかもしれません。
彼女の生き方と姿勢は、きっと多くのセラピストにとって良いロールモデルになるだろうと思いました。
校長からのメッセージ
今回のインタビューでは、第一線のセラピストからマネージャーへ軸をシフトさせてきた、村岡さんの事例を伺うことができました。
もちろん、セラピストごとの個性も関係するので、誰もがそうする必要があるわけではありませんが、村岡さんにとって、それが「本質的に合っていた」ということなのだと思います。
村岡さんのケースでポイントになるのが、彼女のように「スタッフのセラピストが独立する時に、お客様を連れて行っていい」と考えられるかどうかです。
これは、サロンオーナーとしては経営のみならず、心のバランスに関わってくる難しい問題で、「それは困る」と考えるオーナーも少なくないだろうと思います。
しかし村岡さんのサロンのようにお客様をことさら抱え込もうとするのではなく、また関わってくれたセラピストたち一人ひとりが巣立っていく中でそれぞれが本当に必要な場としてのサロンであり続けようとする。
それは、この世にまったく同じ人間は1人としていないということでもあります。
セラピストでいえば、同じ技術を学んでも全員がまったく同じ施術ができるわけではないし、誰もがフィーリングの合う人間関係を結ぶことができるわけではないのです。
これは、セラピストとお客様が個人的な関係性を強く結んでいるのなら尚更です。
確かにご指名をいただけているスタッフ1人がサロンを離れるという時点で、お客様もサロンから離れる可能性は少なからずあるでしょう。
ならば、「数年後に独立する時には、担当するお客様を連れていってもよい」と考えてみる。
何よりもお客様にとって自らの心身を委ねられるマイセラピストとして施術してもらえた方がいいのではないでしょうか。
もちろん、成長したスタッフが独立すれば、一時的にサロンの売上げは落ちるかもしれません。
ですが、新しいセラピストを育てることも含めて、サロン経営を安定させることこそ、サロンオーナーとして与えられた役割なのではないかと私は考えています。
まるで生き物が新陳代謝を繰り返すように、サロンのスタッフも仲間入りと卒業を繰り返していき、お客様の顔ぶれも変わっていく。
その流れの中で、サロンという場は柔軟に変化し、成長していく。生物学でいう「動的平衡」という言葉を思い出します。
今回インタビューをしていて、村岡さんが考えるサロンの形は”幸せなセラピストを育てる”ひとつの型となるのではないかと思いました。
現在、第一線で活躍するセラピストも、歳を重ねる中でライフスタイルの変化がいつかは訪れます。
その時に、自分がどんな風にセラピーに関わっていくのか。それを考えるためにも、村岡さんのセラピストライフはとても参考になるのではないでしょうか。
Warm Beauty