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鈴木直人さんのセラピストライフ~施術セラピスト

2023/04/15
鈴木直人さんのセラピストライフ~施術セラピスト

 これまで30年にわたってセラピストとして活動し、現在は神奈川県辻堂にて健療施術院のオーナーセラピストとして、また日本自律神経研究会の代表としてセラピストの育成にあたっている、鈴木直人さんのセラピストライフをお伝えします。


 鈴木さんの健療施術院は、「薬を使わない うつ・自律神経失調症専門の整体院」という、特徴ある看板を掲げています。


 そのため、院に通うクライアントの8割は、自律神経失調症、うつ症状、パニックなどの症状に苦しむ人たちだそうです。


 鈴木さんはカイロプラクターとして活動する中で、自らも自律神経失調症を発端とした うつ症状に悩まれ、それを自らの試行錯誤によって治した経験を持ちます。


 そして、カイロプラクティックやオステオパシー、心理療法、栄養学などを取り入れたオリジナルメソッド「自律心体療法」を開発し、たくさんのクライアントに向き合ってきました。


 また、治療家向けのセミナーの開催や、書籍や雑誌などを執筆もするなど、情報提供も行っています。


「自律心体療法」は、頭蓋骨や内臓の調整、姿勢や体の動かし方の指導、関節の調整など、体の調整と優しい刺激によって自律神経へアプローチするのだそうです。


「自律神経にどう刺激を加えるかを重視していて、バキバキと強い刺激を与えるような施術はしていません。強すぎる刺激は患者さんを緊張させてしまいますし、ましてはうつ症状のある方はエネルギーが枯渇した状態なので、強い刺激は生理学的によろしくないと考えています。患者さんの体に負担をかけずに、効果的な方法を探ることを常に心掛けています」(鈴木さん談)


 聞けば、現在のスタイルになる以前の鈴木さんは、自身がアスリートだったこともあり、人体を関節や筋肉からなる構造体として見て、運動機能を改善する施術をメインにしてきたそうです。


 そこから自身の闘病経験と、治療家としての経験によって、うつや自律神経失調症に対応するメソッドを体系化してきたわけです。


 鈴木さんの健療施術院には、これまで11万人以上の実績があり、辻堂、川崎、代々木上原、上野の4店舗を経営してきました。


 今回のインタビューでは、鈴木さんの施術家としての歩み、さらには経営者としてのお立場やその思いについて伺うことができました。


人ってやっぱり面白いってことかな

 鈴木さんは、もともと体を動かすことが好きだったそうです。


 中学では水泳部に所属し、学生時代から生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れながらも、トレーニングは欠かさなかったとのこと。


 そして、高校卒業後に横浜から北海道に移り住み、クロスカントリースキーにのめり込んだそうです。


 このクロスカントリースキーの夏期トレーニングとしてロードバイクに乗るようになったことで、鈴木さんはトライアスロンにも挑戦するようになり、初めて参加した全道選手権でなんと6位入賞を果たします。


 ただ、この後、鈴木さんはハードトレーニングがたたって椎間板ヘルニアとなり、それから1年間、トレーニングから遠ざかることになってしまったそうです。


 この時に、治療のために出合ったのがカイロプラクティックでした。


「体の構造や仕組みに興味が湧いて、お世話になっていたカイロの先生に就いて勉強するようになりました。アスリートを引退したら、なんとなくこの仕事やりたいなって」(鈴木さん談)


 カイロプラティックとの出合い以降、スポーツ生理学なども独学し、鈴木さんは自身の体を調整しながら、トレーニングメニューも考えて組み立てるようになっていったそうです。


 そして、トライアスロンのトレーニングと平行して、鈴木さんは出張整体もするようになります。


 自分のパフォーマンス向上のために学んだ知識と技術を使って、関節や筋肉などにトラブルを持っているクライアントに向き合う。


 その過程の中で、鈴木さんは施術家として実践的な技術と経験を積んでいったのだろうと思います。


「アメリカへ行って、世界のトップレベルの人たちと練習したい」


 そう考えた鈴木さんは、高地トレーニングのメッカ、アメリカのボールダーへと向かいます。


 そこは標高1500メートルの高地にあり、オリンピックのメダリスト、世界ランカーを含め、トップクラスの人達が集まってくる場所。


 彼の渡米時、後にマラソンでオリンピックメダリストとなる有森裕子さんもいたそうです。


 トップアスリートたちに混ざって練習をするなかで鈴木さんが感じたこと。


 それは「あまりにも違いすぎて、自分には手が届かない世界だ」という現実。


「強くなりに行ったのに、引退することを決めて帰ってきたんだ」と、鈴木さんは当時を振り返ります。


 ただ、やりきった感覚もあり、未練はまったくなかったそうです。


 こうして日本に帰ってきた鈴木さんに、ある声がかかります。


 辻堂にあるマンションの1室で治療院を経営している方が、定休日に部屋を使う人を探しているというのです。


 ずっと出張スタイルで活動していた鈴木さんにとって、これが初めての店舗になります。


 27歳の夏のことでした。


「最初はお客さんが全く来ないので、日中はアルバイトをして、夜中にチラシをポスティングするところから始めました。いかがわしいチラシだと勘違いされて怒鳴られたりもしましたね。今から思えばいい思い出です」(鈴木さん談)


 初めての店舗経営、アルバイト、チラシ配りと、多忙を極める中、鈴木さんは自律神経失調症から、うつ症状を自覚するようになりましたが、それをこれまでの経験と新しい学びによって克服。


 さらに、クライアントの中にも、構造的なトラブルにみえて実は自律神経に由来する不調を抱えている人がたくさんいることに気づきます。


 その1人ひとりに向き合い、関連する情報をかき集めながら、解決の道を探ってきたそうです。


 こうした試行錯誤が、自らのオリジナルメソッドである自律心体療法の開発に繋がったのです。


「例えば、最初は腰痛を治してほしいって来院するんですけど、こちらの施術に対してクライアントの身体が正常に反応しないことがあるんです。自分の経験からすると、おや?と思う訳です。だから、他に症状がないかと聞くと、不眠があったり、耳鳴りがあったり。だったら、体の構造だけじゃなくて、神経系についても勉強しなきゃってなる。だって、何とかしたいじゃないですか」(鈴木さん談)


 こうした背景から、鈴木さんの院には、自律神経系のトラブルに悩まされるクライアントがクチコミで増えていきました。


 そして彼の院経営は徐々に軌道に乗り、2000年に10坪の店舗へ移転、さらに2004年に40坪ある今の店舗へ移転しています。


 その後、鈴木さんは2009年11月に川崎整体健療院、2012年2月に代々木上原整体健療院、そして2017年に上野整体健療院と、次々と分院を開設。


 こうして鈴木さんは4店舗を経営し、最も多い時で19人にスタッフを束ねるほどになりした。


 経営者としてのマネージメント力だけでなく、分院を任せられるスタッフの育成にも、鈴木さんの能力が発揮されたということが伺えます。


 しかも、うつ・自律神経失調症の専門サイトの開設、日本自律神経研究会設立、法人向けの講習会活動、書籍の執筆などの情報発信も、院経営と同時並行に行ってきていることを考えると、驚かざるを得ません。


「30年の歩みを振り返ってみてどうでしたか?」と私が聞いたところ、鈴木さんは少し間をおいて一言、


「人ってやっぱり面白いってことかな」


 目の前のクライアントが、これまでの人生の中で積み重ねてきたことを起因として様々な症状に悩みや苦しんでいる。それでも、誰もが良い方向に向かって頑張っている姿を見て、鈴木さんは「そのサポートができていることが何よりも嬉しいんだ」と言います。


「誰かが頑張る姿を見ていると、純粋になんだか嬉しいし、何かしら役に立ちたいよね。おこがましい話だけど」(鈴木さん談)


 これからセラピストになろうと思う人たちに、何かメッセージはありますか?と聞いたところ、「興味を持つこと」と鈴木さんは答えてくれました。


 たとえ体に触れるセラピストであっても、人に関わっていれば、目に見える部分だけでなく、神経の働きについてや、心の働きについて、尽きることなく小さな疑問が日々、出てくるはず。


 そんな些細な興味を探究心に変え、自ら学び、そして行動していく。


「興味を持つこと」こそが、すべてのスタート。


 それがシンプルながらも、彼が後進に伝えたいメッセージなのでしょう。


 それはそのまま、鈴木さん本人がずっと持ち続けてきたセラピストライフのテーマなのではないでしょうか。


校長からのメッセージ

「いやぁ僕って人ぎらいなんだよね」と、時々、悪態をつきながらインタビューを受けてくれた鈴木さん。


 それは、照れ隠しのようであり、一方で自立的に人生を歩まない人々がたくさんいることへの苛立ちも、その言葉には含まれているのかもしれません。


 彼自身がアスリートとして、また施術家として、積極的に現場に飛び込み、努力し、学び、道を切り拓いてきたという経験があるからこそ、他の人が自分の可能性を追求せずに二の足を踏んでいることに、焦れったさを感じているのではないか。ふとそんなことを考えました。


 というのも、本編でご紹介した鈴木さんのストーリーにはまだ続きがあって、現在、院経営をコンパクトにし始めているからです。


 ご紹介したように、鈴木さんはたくさんの患者さんの悩みに応えるために店舗を増やしてきたわけですが、当然、それに伴って経営者としての仕事は増えていきます。


 ただ、50歳を過ぎて、これから自分がやりたいことを考えた時に、自分の患者さんと、セミナーで出会う若いセラピストたちに向き合う時間を増やしたいと、鈴木さんは思ったそうです。


 これは、鈴木さんのみならず、施術家兼経営者、オーナーセラピストとなった時に、多くの施術家・セラピストが抱える葛藤でもあります。


 クライアントが増えれば、店舗も施術家も増やす必要が出てきます。


 当然、オーナーとしてスタッフの育成が必要になります。


 そして、育ったスタッフを責任者にして新店舗を出し、新人スタッフを集めることになる。

 そして、新人スタッフを育てて……。


 こうやって、店舗ごとの経営判断、集客対策、スタッフ育成など、オーナーとしての仕事も増えていくわけですが、鈴木さんは「無限ループですよ、これは」と複雑な表情をして語ってくれました。


 この「無限ループ」から抜け出す手立てとして、鈴木さんはスタッフに自立してほしいと願っている節が、お話の所々で伺えました。


 ただ、人から「自立しろ」と言われてするのは、本当の自立ではないわけです。


 鈴木さんは、厳しく突き放すような態度で、スタッフの自立を促しているのではないか、と思われるのですが、それは少し穿ちすぎでしょうか。


 もちろん、それは分院を出したからこそ、分かったことなので、それ自体を鈴木さんは後悔しているわけではないそうです。


 むしろ、トライアスロンの世界レベルに挑戦して、世界の壁に圧倒された時と同じで、「やるだけやったから、もうさっぱりしててね」と鈴木さんは今の心情を教えてくれました。


 サロンオーナーとしてのセラピストライフをやりきった彼が、次の人生の形を現在進行形で再構築しているタイミングで、今回はお話を聞くことができました。


 いずれまた、新しいセラピストライフを拓いていく姿をご紹介する機会が来るはず。それを楽しみにしながら、インタビューを終えました。


健療院グループ

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健療施術院

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日本自律神経研究会

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