第二揺籃期が始まって数年。
様々な新しいことにもチャレンジしているセラピストたち。
それは時の趨勢からいってもある意味当然なのかな?とも思います、けれど
むしろ今、目立たぬが届けるべき人にきちんと届けているセラピストたちに。改めて注目しています
それは。今このとき、やえもするとセラピストにとっての本質を見失いながらなにかする、そんな姿を垣間見せられるからなんです
またそのようにしていく周囲の存在もあり。
セラピストにとってなにより大切な
触れる、関わる、場の提供、気づかせる、変化させる、未来を見せる、道筋を示す、ガイドする、、100人いれば100通りあるであろうセラピストの姿をセラピスト個々人が見出していかなくてはいけないのに、です。
“安近短”の好まれる世相にあって
むしろ目立たぬ、知られることのないことを淡々と継続して。
それができるのもそのセラピストにとっての本質を見出せているからなのかもしれないなと。