『わかりやすい支援だけが支援ではない』と、セラピストを10年超えて支援していてそう思うのです。
時に本人が気づかないくらいの支援をそっとし続けることだって必要なんじゃないかなぁ。
僕自身それは支援というよりも、支え手という響きの方がしっくりきます。
それも触れるか触れないかくらいの。
倒れそうになってから、場合によっては倒れてからというより。
ただ元気そうに(調子良く)歩いてる時にじっと背中を見つめることだってあるべきスタンス。
わかりやすい支援だけじゃダメなんだ、と。
普段ずっとその支え手に気づかれなくても、いざという時にさっと。
それも5年〜10年の単位で。
昨日、15年現役を続けている個人セラピストとお茶しながら改めて学んだ一つのことです。(文責:谷口晋一)