◆自分が何を目指しているか?
◆自分のしていることはどういうことなのか?
それを常に的確に。言葉に表現出来るセラピストはそんなにおりません。
実は僕自身もまた頭を悩ませています。
例えば一つの事例としてセラピストの学校のオープンキャンパス。
『セラピストにとってのサードプレイス(第三の場)学びと交流、安心、安全な場所。』
と言葉づけてやり始めましたが、本当のところ始める前は暗中模索状態。
でも動き始めてみて。そこから出てくるセラピストたちからの言葉を通して改めて気づかされ教えられます。
先日大阪で参加くださったセラピストのブログ※では、オープンキャンパスを評して。
■初心に戻れる
■再確認できる
■新たに知ることが出来る
■夢が語れる
■悩みが話せる
■不安を解消できる
■分かり合える
変に難しい言葉ではなく箇条書きにされると納得します。
また同じ場にいた別のセラピストはSNS上の記事で、
『谷口さん主催の懇親会で出会うセラピストの方々とお話をさせていただいていると、武将が戦国時代の古傷を見せ合っているよう。私もスネにいっぱい傷があります。
かつて敵同士、今仲間。中立的な立場に居つつ、闇討ちさせない正しい戦い方を教える方です。』
との例え評。
情景が思い描かれてこれもまた納得。
セラピストにとって大切なのは。
自己客観視できているということは、クライエントに対して安心と信頼を表現しているということでもあります。
そのためには自分で自分を上手に言語化するということだけでなく、周囲の意見を受け止められているということでもあり。
つまり。たとえそれが辛辣なものでもピントはずれであっても。
常日頃から周囲に評される存在であれ。
ということだと私は考えます。(文責:谷口晋一)
※『ありのままで え〜やんか〜。』