東京南青山にて、個人サロン「corpo e alma(コルポ エ アルマ)」を運営し、オーダーメイドの施術と、セラピストの育成、さらにセラピー関連事業やイベントに協力する「シェルパ」としての活動もしている、小松ゆり子さんのセラピストライフを紹介します。
【育成セラピスト】編はこちら
【ディレクター型シェルパ】編はこちら
小松さんは、18年のセラピスト歴を持ち、現在は9年前から東京南青山にて個人サロン「corpo e alma(コルポ エ アルマ)」を運営しています。(サロン名は、ポルトガル語で「身体と魂」の意味。)
お客様の多くは、毎日忙しく働く30〜50代の女性。‟人生を前に進ませるためのブースター“を求めて、小松さんのサロンに来店します。
世界一美しい筋膜リリース
提供するのは、エサレン・ボディワークと筋膜リリースをベースに、アロマやストーン、音叉などを用いた完全オーダーメイド(120分)のセラピーです。
施術を受けたお客様からは「体を1回バラバラにされて、全部組み直されたみたい」「セラピーを受けている間は、瞑想しているようだった」と感想をいただいたり、テーラー(仕立て屋)になぞらえて「流行も取り入れて、体に合わせた仕立てをしてもらったみたい」と表現されたこともあるのだそう。
小松さんが自身のメソッドで目指しているのは「世界一美しい筋膜リリース」だそうです。
その理由を聞くと笑顔でこう答えてくれました。
「美しいというのは単にエステティックな意味ではなくて。身体を整えることを入り口に、心と身体両方の透明度を高く、美しく仕上げていきたいと考えています。また、オイルトリートメントはボディケアの中でも、全体の流れを音楽的に美しく構成できることが魅力ですよね。」(小松さん談)
業界の宿命ともいえる問題に気がつく中での出会い
セラピストになる以前、小松さんは音楽業界でプロモーションに関わる仕事に就いていました。
ジャパニーズ・ヒップホップやクラブミュージックからミリオン・ヒット系アーティストまで幅広い音楽の宣伝に携わり、忙しくも充実した毎日を過ごしていたそうです。
そうした中で、エンタメ業界で働く人たちが心身に不調を抱えて業界から去っていくという話を聞くにつけて、言うなればその業界の宿命ともいえる問題に気がつきます。
趣味を仕事にしたことで、休むことを忘れるほど働いてしまい、ストレス発散のためにあるはずのエンターテイメントを仕事したばかりにストレス発散の術を失ってしまう。
その結果、自律神経のバランスを崩し、体にも心にも変調をきたしてしまうことがある。
セラピストになった今では見える問題点も、小松さんがエンタメ業界にいた頃には「どうもストレスがよくないようだ」というくらいの認識だったそうです。
そこで彼女は、仕事とはまったく違うジャンルの趣味を持とうと考えます。
そして、ふと立ち寄ったお店で精油と出会い、店員さんの説明を受けているうちに興味が湧いてきたと、当時を振り返ってくれました。
「心と香りの関係に興味を持ったので、“心理とアロマ”みたいなマニアックなクラスに最初から入ったんですね。そこで“キンキ(禁忌)”という言葉を始めて聞いたんですが、私が知っているキンキと言えば KinKi Kids くらい。“キンキって何ですか”って質問したら、教室の全員が凍りついてました(笑)精油を扱うには無知すぎたんです。」(小松さん談)
毎日のルーティーンに耐えられない自分に気づく
こうして、まったくの初心者から学び始めた小松さんですが、生来の知的好奇心の強さもあってか、アロマテラピーの基礎から学びを積み上げて、アロマセラピストの資格を取得します。
その後、8年間勤めた会社を退職してセラピーの世界に入り、セラピストライフの1年目に有名なホテルのスパサロンに勤務することになったそうです。
ですが、そこである現実に小松さんは直面し、悩むことになります。
「ホテルスパは本当に良い環境で、スタッフも、お客様も、施設も最高でした。でも、毎日のルーティーンに耐えられない自分に気づいてしまったんです。この素晴らしい環境で無理なら将来、自分でサロンを持っても無理なんじゃないかって。当時抱いていたセラピストの働き方のイメージと、自分の性質との乖離が凄すぎて。自分でも驚きました」(小松さん談)
それでも、心と体の探求をし、それを施術を通して表現でき、結果が得られる。
そんな働き方ができるセラピストという職業に魅力を感じていた小松さんは、自分なりの方法を模索し始めます。
ホテルスパの他にメディカルスパにも勤め、また様々な自然療法を教えるスクールで講師としても活動するようになります。
そうやって、いろいろな場所や立場でセラピーと関わることを続けて10年近く経った頃に、シェアサロンを経て、現在のサロンをオープンさせます。
「サロンというよりも、私の趣味の部屋を兼ねたアトリエといった感じです。お客様主導ではなくて、私主導の目線での運営方法で、“こんなに自分本位なやりかたでいいのかな”って思いながら始めたら、それをおもしろがってくれる人が割と多かったんです」(小松さん談)
自身がソマティックを実践し、セラピーの中で表現する。
心と体について学び続ける中で彼女が出会ったのが「ソマティック」。
ソマティック(somatic)とは、心と肉体が不可分であることを指す概念であり、生きる指針になる考え方であり、また世界の捉え方の1つとも言えます。
あるいは、頭脳偏重で心も身体も顧みない現代社会への警句のようなものとも言えるのではないでしょうか。
小松さん自身がソマティックを実践し、またセラピーの中で表現する。
そして、それに共感するお客様が彼女のセラピーを求めてやってくる、その実践の場としてサロンが存在する。
彼女は自分のスタイルを“自分本位”や“利己的”と笑いながら語ってくれましたが、これまで9年間にもわたって南青山にてサロンを運営できてきたことが、彼女のスタイルが間違いではないことを示しているように思えます。
小松さんは今後も楽しくセラピーを続けていきたいと、笑顔で言います。
今は、サロンの場所にもこだわらなくてもいい方法も構築しているそうです。
「私が私の居心地をかなり大事にしているように、お客様も居心地良く人生を送れるように、心と身体を大切にしてほしい。私のサロンに来るのが人生で1回だとしても、それで何かしら良い変化が生まれてくれたらいいなと思います」(小松さん談)
校長からのメッセージ
小松さんの活動スタイルの特徴は、“ルーティーンに向いていない自分の性質”という前提に立って、それでもセラピストとして生きていける方法を徹底的に考えているところにあります。
サロンワークだけで回そうとせずに、セラピストを育成したり、情報を発信したり、イベントの運営に携わったり、ウェブメディアへの寄稿をしたりと、多岐にわたる活動全体が、彼女のセラピストライフを表現しているように思えます。
知的好奇心も旺盛で、彼女の表現で言えば「研修費がエグいことになっている(笑)」のだそう。
そして、自分が良いと思えるものからエッセンスを取り出して、自分のセラピーに溶け込ませていく。
そうやって常にアップデートされているのですから、彼女の施術は固定化されることはなく、120分のオーダーメイド(30,000円)にならざるを得ない、ということのようです。
小松さん自身は音楽業界のプロモーター出身で、様々な宣伝形態を経験していますが、セラピストとしては敢えてメディアに有料広告を出すことはしていないそうです。
それよりも、SNS (ブログ、Facebook、Instagram、Twitter、note)からの発信が中心で、知的好奇心をくすぐるような記事を出すことも心掛けているとのことです。
そうした発信に興味を持った方が来店するケースも多く、なかには音楽関連で検索する中で彼女の投稿にリンクし、小松さん自身に興味を持ったことで、人生で初めてセラピーを受けた方もいるのだそう。
さて、サロンでの施術にはルーティーンが付きもので、それなしには考えられない、というセラピストもいることでしょう。
ルーティーンの決まっていない施術というものを考察してみますと、小松さんのバックグラウンドからもライブハウスでのジャムセッションを連想します。
楽譜はあるけれど、いつも譜面通りというわけではなく、その場のお客さんと共に作る会場全体の雰囲気も取り込んで、アドリブが入ったり、テンポが変わったり。
既存の曲であっても、新しいテクニックを覚えれば、それを積極的に取り込んでいく。同じ曲なのにいつも新しく、また会場全体の一体感を得られるのがライブの醍醐味なのだとか。
それでも楽曲全体のテーマは変わることがなく、完成度を維持(あるいは向上)できるのが、一流のミュージシャンに備わる能力ということでしょう。
もちろん、豊かな才能がある上で、膨大な学び、無数の試行錯誤、確かな技術があってこそできる業です。
サロンでのセラピストにも、同じ事が言えるのかもしれない。彼女のセラピストライフをの話を聞きながらそんなことを感じました。
セラピーにおいて一人として同じお客様はおらず、その場、その時によって状況は常に違います。少なからず施術の流れにもアドリブは必要です。
ならば、“いつもまったく同じ施術でなくてもいい”という割り切ってしまう。そこが彼女らしさとなり、またお客様を惹きつけるのでしょう。
「新しい技術を身に付けたのに、固定化されたメニューにこだわってそれを出さないのではウソになる」
彼女がチラリと覗かせた矜恃は、まさしくソマティックの実践。
そして、その実践にお客様も巻き込もうとしていて、お客様も喜んで巻き込まれているのでは?
小松さんが見せてくれるセラピスト像に、ふとそんなことが頭に浮かびました。
YURIKO KOMATSU