逢うたびに。ほぼ雑談のようにやりとりしてくれている人と今日、
「人が動く時って。その人の中で“生まれた熱”がある」って話しに。
たしかに。僕もそうだ。
いくら論理的に言われても、説得されても。
そこに熱が生まれなければ(腹の底からは)決して動かないよなぁ。
逆に。ふつふつと湧き上がるような熱が生まれていれば誰が何と言おうと動きたい。いや、動こうとするに決まってる。
その熱が意識的にあげられたものなら?
これは人との関係でもお仕事なんかでも。
やはりおんなじで。そこはAIでもなきゃプログラミングされたロボットでもない。
どうして?と言われましても。
僕の身体には赤い血が流れてるから、、みたいな。
そして、やりとり続けててそうそうって思ったのは。
「意識的に上げられた熱は早くに下がるもの」という話になったとき。
熱さえ上げれば動くのか?
動くよねぇ。でも、意識的に上げられれば冷めるのが早いんだ。
テクニックやら仕組みやら。成功法則やら。
そこに意識があんまりにも行き過ぎると。
思いの外、人って早く冷めていくんだ。
そこでまた、人が変わったり表現を変えたりして意識させようとするんだけど。
動いてもらうために。
熱を上げるための何かを必死にしてる。
自戒を込めて言えば僕もそんなときがある。
何かに向かわせるための熱を持たせようとするんじゃなくて。
今、そしてこれからその人の持つ熱がなんなのか?
そこにしっかりと目を向けられるものでありたいね、と彼と話してましたので。