名古屋市にて「タイ古式マッサージ ヒーリングスパ 沙羅」のサロンオーナーとして活動する、谷口篤子さんのセラピストライフを紹介します。
「沙羅」は、2003年に当時50歳の谷口さんが八事にてオープンさせ、2021年に覚王山に移転しています。
つまり、彼女は20年以上のキャリアを持つセラピストなのです。
谷口さんがサロンで提供しているのは、ワット・ポースタイルを彼女流にアレンジしたタイ古式マッサージ。
チェンマイスタイルも身に付けているとのことですが、「自分が安定して施術ができて、お客様に喜ばれる手技」を追究していくなかで自然に生まれてきたマイスタイルなのだそうです。
「これまで、タイへの旅行やイベントを通じてセラピスト仲間の横のつながりを作ってきました。また、セラピストLINEというヘルプラインを作っていまして、そこに東海三県のセラピストに参加していただいて、情報を共有できる場を設けています。集客に関する講習会やハーブホットパットのワークショップなども開いていますよ。お客様にすごく喜ばれるような、私が自信を持ってお勧めできるものをお伝えしています」(谷口さん談)
インタビューに際して、20年のセラピスト歴を持っていてもなお謙虚であり、同時に柔らかな笑顔で対応してくださった谷口さん。
彼女がこれまでにどのようなライフステージを経て、今に至るのか? お話を伺うにつけ、この世界に居続けてきた理由が、その言葉の一つ一つから伝わってきました。
行く道に迷い、悩みながら見つけたセラピストという道
セラピストとして活動する以前、40代の頃までの谷口さんはスポーツジムで水泳のインストラクターとして働いていたそうです。
その後の事務職として会社に勤めたのですが、当時もバイタリティーあふれる彼女は経営者に認められ、役員とともに中国などへ海外出張を命じられるなど、単なる事務職の域を超えた活躍をしていたようです。
そうして10年近くを会社のために尽くす中、彼女の中で芽生えたのは「自分のために働きたい」という強い思いでした。
「じきに辞めるつもりで働き続ける」という中途半端なことができなかった谷口さんは、50歳を目前に思い切って会社を退職し、独立開業のために動き始めます。
ただ、具体的にどんな事業をして生きるのか、それを探すところからのスタートであり、「自分が何をしたいのか」が見つからずに、焦る日々が続いたそうです。
当時はアジア雑貨が流行った時期でもあり、谷口さんは親孝行も兼ねてタイに旅行に行きますが、雑貨販売への転身は具体化しませんでした。
そんな中、インターネットでふと目に止まった「タイ古式マッサージスクールの生徒募集」の文字。
そこには「独立開業コース」もあるという情報を見て、「これなら私にもできる」と直感的に確信したそうです。
その夜は、「興奮して寝られなかった」と谷口さんは振り返ってくれました。
当時は、タイ古式マッサージを教える大きなスクールがまだ東京に2校ほどしかない時代です。
谷口さんは日を置かずに上京して、説明会に参加。即入校して、学び始めたそうです。
その時の他の生徒は20代30代の人ばかり。谷口さんにとっては文字通りの「50の手習い」でした。
「もう大変でしたよ。年のせいか教科書を覚えるにも苦労しましたし、マッサージは初めてだったのでとにかく指が痛い。でも、やめようとは思わなかったですね。独立開業するんだっていう思いが強すぎて」(谷口さん談)
「自分のために働こう」と決めたものの、行く道に迷い、悩む中で、ついに見つけたのがセラピストという道でした。
谷口さんの行動力は驚くべきものがあり、スクールで学びながらも同時並行でサロンの物件探しもしていたといいます。
当時はインターネットで簡単に店舗を探すことも難しく、「30坪以上の路面店」という条件にあう物件を探して、名古屋中のおぼしきエリアをひたすら歩いたそうです。
そして、八事に条件の合う物件をようやく見つけると、理想のサロンを作るべく、会社員時代の退職金をつぎ込んで、プロのデザイナーに内装を依頼。
2003年に「タイ古式マッサージ ヒーリングスパ 沙羅」をオープンさせます。
「50歳で起業なんて、よくやりましたよね。今思うと、びっくりですよ。そういう性格なんです。やりたいと思ったら、やっちゃうんです。でも、それからが大変でした」(谷口さん談)
タイ古式マッサージのスクールに入校してわずか半年しか経っておらず、技術も経営術もまだまだ未熟。
しかも広めの店舗を借りたのに、セラピストが谷口さん1人ではとても回りません。
スタッフを探そうにも、当時の名古屋エリアにはタイ古式マッサージのスクールはない時期でした。
谷口さんは、地元の友人に声を掛け、施術を教えるところからスタッフを増やしていったそうです。
この、スタッフを育てることが発展して、スクールへと繋がっていきます。
そして、年に2回ほどタイに渡って研鑽を積み、様々なタイ関係のイベントに出展して人との繋がりを広げていきました。
セラピストとしてだけでなく、サロン経営者としても、できることは何でも自らやってしまう谷口さん。毎晩夜10時を超えて帰る日々が続いたとのこと。
幸運にも時代、タイミング、タイ古式への関心に間をおかずしてサロンは軌道に乗っていきました。
そしてサロン継続の為に夢中で走り続けたそうです。
気づけば15年以上の時が過ぎ、その間に15名のスタッフを育て、100名近くの生徒に指導をしていました。
また、数々のイベントを通して人脈はどんどん広がっていったそうです。
「これでやめられる」ではなく「これではやめられない」
そんな忙しくも充実した日々を送る谷口さんに、とても大きな出来事が訪れます。
長年連れ添ってきたご主人が病で亡くなったのです。2019年6月のことでした。
それまでまっすぐに夢中で走ってきた谷口さんの中で、何かがぷつっと切れてしまったと言います。
「ずっと夫をないがしろにしながら仕事してきてしまった。いろいろなところへ出かけたり、もっとたくさんの時間を一緒に過ごせばよかったって、亡くなってから思うんです。そんなに仕事が大事だったのかって。今思うと、寂しいし、後悔ばかりですね」(谷口さん談)
思い悩み、落ち込んだ彼女は、ご主人の死の数ヶ月後には、サロンを閉じることをスタッフにも宣言していたそうです。
周囲の説得もあって思いとどまりましたが、その翌年に思いも寄らない話が降りかかります。
サロンが入っているビルが老朽化の為の取壊し工事をするということで、立ち退かなければならなくなったのです。
その時に彼女が思ったこと。それは、
「これでやめられる」ではなく、「これではやめられない」でした。
「お客様のことも確かにあったけど。この世界に居続けたかった、と言う気持ちが大きかったように思います。足跡をまだまだ残したいという気持ちと、この世界で皆さんとつながっていたいって気持ちもありましたね。あと、本気か冗談か分かりませんけど、スタッフやセラピスト仲間が『沙羅さんがいるから私も頑張れる』って言ってくれるじゃないですか。『やめたらあかん、女がすたる』って思ったんですね」(谷口さん談)
「立ち退きで受け取ったお金で、もう1度サロンを作ろう。サロンを開業した時のような気持ちで、1から自分の思う素敵なサロンを作ろう」
彼女の中で、そんな気持ちが強くなっていったそうです。
そして、谷口さんが選んだのが、同じ八事エリアでサロンを新たに開くよりも、これまで全く縁のなかった覚王山への移転でした。
こうして2021年。現在のサロン、「タイ古式マッサージ ヒーリングスパ 沙羅 覚王山」が新たに誕生します。
今度はスタッフのいない、彼女1人だけの再スタートです。
広いサンルームの真ん中をカーテンで仕切って、タイマッサージの部屋として二つ、オイルのマッサージのためのベッドルームを一つ用意。やはり内装にもこだわったそうです。
ただ、自身の年齢のこともあり、以前のような働き方をしなくなったといいます。
「今はウェブ予約が主流になって、自分のスケジュールが立てやすいし、次の予約が入っていなければついつい施術が長くなっちゃう。あと、夜のお客様は入らなければそれでいいと思えるようになりましたね。サロンを始めた頃だったら、『そこにお客さんが入るかもしれない』ってサロンを開けていましたから。1人の気楽さというのかな。ガッツリ稼ごうっていう気持ちはもうないので、気楽なんですよね」(谷口さん談)
そうした変化はお客様にも伝わっているようで、施術後1時間以上もサロンで寛がれるお客様もいるそうです。
中にはご夫婦で来店されて、一方が施術を受けている間、のんびりと待っている方もいるとのこと。
谷口さんとの親密さや、サロンの居心地の良さが想像されます。
「今後のイメージは?」と私が訊くと、谷口さんは笑顔で「具体的なものは何もないけども、やめざるを得ない時が必ずくるというのは、常に頭にあります」と答えてくれました。
「ここ(覚王山)へ来た時点で、そう長くはできないと分かった上でサロンを作りました。体力な問題とか、病気とか。今はなくても来年その時がくるかもしれない。先が見えない崖を歩いている、というのはあります。でも、ここに来ても『まだやりたい』って思えるってことは、この仕事はやっぱり楽しいんですよね。その気持ちは、お客様と相対する度に沸いてきて、それが繋がるから『まだやりたい』と思える。そうやって、一年でも長く続けたいと思います」(谷口さん談)
「それにね」と谷口さんは、インタビューを受けるつい2ヶ月月前のエピソードを話してくれました。
「少し前に視覚障害者の方がタイ古式に興味を持って体験レッスンにみえたんですね。あんま鍼灸をされている方でしたが、タイマッサージを受けたことがないということでした。私も視覚障害者の方に施術するのは初めてなんで、いつも通りに触ったらビクッとされて。自分に足りないものがあるって痛感させられましたね。でも、施術をしたら『手の感じがいいです。手を触らしてください』って言われて」(谷口さん談)
この経験から、谷口さんは「まだ自分の技術を伝えるべき人が残されているんだ」と考えるようになり、できれば盲学校などにも繋がっていければと模索していると教えてくれました。
「やりたいと思えば、何でもチャレンジしてきた自分なんで」
そう言って笑う谷口さんをみると、本当にやり遂げてしまいそうな予感がするとともに、「まだまだ、あなたにも出来ることがあるんじゃない?」と問いかけられているような気分になりました。
校長からのメッセージ
今回は、インタビュー当時70歳の現役セラピスト、谷口篤子さんにお話を伺いました。
谷口さんがサロン「沙羅」を立ち上げたのが50の頃だったことを改めて伺うと、現在53歳の私はただただ驚かされるばかりです。
聞けば、セラピストになる前の会社員時代も、やり甲斐もあり、充実もしていたとのこと。そのまま定年まで勤めあげるのが、多くの人の選択でしょう。
諺でいう「50の手習い」とは「いつ学びはじめても遅くない」という意味ですが、谷口さんはそれをそのままやってみせたというだけでなく、70歳になっても「学ぶものがある」「やりたいことがある」と新しい道を見つけているのです。
なかなかできることではありません。
もちろん、セラピストになっても平坦な道というわけではありませんでした。
開業当初は昼となく夜となく働き続けたでしょうし、パートナーとの死別に接してひどく落ち込んだ時期もあったのです。
それでも、谷口さんはセラピストであることをやめなかった。
「自分のやりたいことだからいいんですよね。やりたいことのために試行錯誤するっていうのは、楽しいことじゃないですか」
20年のキャリアを振り返って、谷口さんは笑顔でそう言います。
谷口さんは「自分のために働きたい」という思いで会社員という安定した立場を捨て、セラピストになったのですが、それが同時にお客様や生徒さん、スタッフにも、きっとたくさんの恵みを届けたはずです。
そうして出来上がったコミュニティが谷口さんを支え、離れられないほどの生き甲斐をもたらすことになったのだろうと思います。
そうした循環の中に身を置く幸せこそが、セラピストという仕事の醍醐味です。
そして、定年がないというのも、この仕事の魅力でしょう。
「覚王山に新しいサロンを作るとき、80歳までやれるかな、とも思いましたけど、もしかすると5年後かもしれない。だから、その後どうしようかと、考えることはありますね」
そう遠くない未来に必ず来るエンディングを見据える谷口さん。
その姿はきっと多くの後進にとってのロールモデルになるはずです。
それを私も見せていただき、さらに多くのセラピストたちに伝えていきたいと思います。
もしかすると、施術ができなくなっても、まったく新しいスタイルのセラピストであり続けるのではないか。そんな予感を覚えつつ、楽しいインタビューを終えました。
タイ古式マッサージ ヒーリングスパ 沙羅