沖縄県宮古島市にて、3年にわたってロミロミセラピストとして活動している、「ハウメア」の大竹千緒子さんのセラピストライフを紹介します。
大竹さんのセラピスト歴は21年。
長らく千葉県で個人サロンを持って活動してきた後、2019年の春に宮古島に移住し、新しいセラピストライフを歩みはじめています。
現在は自分のサロンを持たず、島のリゾートホテルに出張したり、地域にあるアロマテラピーサロンにスタッフとして入り、ロミロミを中心にした施術を提供しています。
ホテルで施術をする相手は、多くが宮古島に来た観光客で、南国での非日常の体験の一環として、リトリートセラピーを希望されるそうです。
ロミロミでのマッサージオイルには宮古島特産の月桃(げっとう)の精油を使うなど、地域色を取り入れた工夫をしています。
「千葉でサロンを経営していた時は、ロミロミを前面に出して活動してきましたが、現在はお客様の要望に柔軟に対応するようにしています。オイルが苦手な方にはドライで揉みほぐしをすることもありますし、脚に疲れがある人にはリフレクソロジーもします。フェイシャルもすることもありますね。普段、セラピーを受けないお客様が、旅行の特別な体験として施術を希望されることも特徴ですね」(大竹さん談)
「ずっとペーパードライバーだったのに、こっちに来たら車を運転しないことにはどうにもならなくて!」と笑顔で宮古島での生活について語ってくれた大竹さん。
彼女がどんな経緯で現在の活動スタイルに至ったのかを聞きました。
世の中にこういう仕事も必要とされているのね
セラピストになる以前、大竹さんは会社員をしていてサロンに通うこともなく、セラピーとは縁遠い生活をしていたそうです。
そんな彼女がセラピーを初めて体験したのは、家族旅行で訪れ観光地のホテルでのことでした。
当時の大竹さんは出産を機に仕事を離れていて、2人目のお子さんがまだ幼かった頃でした。
ホテルにリフレクソロジーを受けられる場所があって、せっかくだからと初めて施術を受けたそうです。
その時は、お子さんたちが幼かったこともあって、短時間コースでの施術だったとのことですが、大竹さんはその気持ち良さに驚くとともに、「私もこんな仕事ができたらいいな」と思ったと、当時を振り返ってくれました。
「その頃は、会社を辞めて3年くらい子育てのために家にいたので、社会から隔離された感じがしていて、やっぱり何かしたいと思っていたんです。旅行先でリフレクソロジーを受けた時に、予約表がいっぱいだったんですよね。旅先ということもあるんでしょうけど、世の中にこういう仕事も必要とされているのね、と気づいたんです」(大竹さん談)
その後、リフレクソロジーの勉強をした大竹さんは、ボディへの施術も学ぶためにアロマテラピーやロミロミの勉強をします。
大竹さんがロミロミを選んだのは、もともとハワイが好きだったから。
ロミロミの学びを通して、技術だけではなく、ハワイの文化やアロハスピリットにも触れることができ、さらに共に学びを深めた仲間たちと出会えたことが彼女にとって大きな財産になったといいます。
大竹さんが千葉の自宅でサロンをオープンしたのが2000年のこと。
その4年ほど後に、マンションの一室に個人サロンを持ち、ロミロミを教えるスクールも運営するようになりました。
千葉で活動した17年間は、子育てをしながらの忙しい日々でしたが、施術をするのも、施術によってお客様が笑顔になるのも好きで、大竹さんは充実した毎日を過ごしたそうです。
そんな大竹さんに宮古島へのご縁を運んできたのは、ロミロミスクールの卒業生の方でした。
その方は宮古島で過ごしていたこともあり、ハワイ好きの大竹さんを熱心に宮古島に誘ってくれたのです。
そして、宮古島へ行ってみると、大竹さんは海の美しさや自然の豊かさに感動するとともに、どこかハワイの郊外に雰囲気が似ていると感じたそうです。
この体験をきっかけに、大竹さんは宮古島に何度も行くようになります。
その後、彼女は先ほどの卒業生から、宮古島で活動する女性実業家を紹介され、その方が経営するサロンへの参加も提案されたそうです。
大竹さんはこれを機に2019年3月に宮古島に移住し、セラピストライフの第2幕をスタートさせました。
なんと、子どもたち家族を千葉に残したままの、たった1人での移住でした。
「子どもたちが独立したというタイミングもありました。それに、いつかは自分の親を介護しなければいけないと思うのですが、そうなってからでは移住は遅すぎます。タイミングは今しかないと考えて、ほぼ勢いで移住を決めました」(大竹さん談)
こうして宮古島に移住した大竹さんですが、彼女自身が「タイミングが良かったのか、悪かったのか」と言うように、第2幕は波乱の幕開けになりました。
彼女が移住してから1年も経たないうちにコロナ禍が始まり、宮古島への観光客は激減。
関わっていたサロンでの働きから、大竹さんは別のスタイルを模索することになります。
それからは特定のサロンに所属することなく、現在のようにリゾートホテルに出張するスタイルへと移行していったのです。
今後は、現在のスタイルを続けながら、ゆくゆくは自分のサロンも持ち、観光客だけでなく、地元の方たちにも気軽に通ってもらえるような場所を作っていきたいとのこと。
そして、「お客様から“あの人に会いに宮古島に行こうかな”と言われるようになりたいですね!」と、笑顔で語ってくれました。
校長からのメッセージ
現在、大竹さんは、冒頭で紹介したようにリゾートホテルへの出張や地元のサロンに入って施術を提供しているのですが、実はホテルのルームメイクなどの裏方仕事もしているそうです。
つまりダブルワークです。
20年以上もセラピストとして生きてきた彼女にとって、まったく別の業界で働くことは良い刺激になっていると語ってくれました。
自分の子どもと同世代の人から仕事を教わることも、一緒に働く仲間たちと何気ない会話をすることも、すべてが良い刺激や学びになっているそうで、「どんな経験も糧に出来るのだから、セラピストという仕事は本当に面白いですよね」と大竹さんは笑顔で言います。
ロミロミの本場、ハワイでもセラピストが別の仕事を兼業していることは珍しくないそうで、大竹さんも「セラピストで1本立ちしなければいけない」というこだわりは持っていないようです。
これも、彼女がロミロミで学んだアロハスピリットなのでしょう。
ちなみに、宮古島への移住に関して、お子さんたちの反応を大竹さんに聞いたところ、
「反対はされなかったけど、びっくりしてましたね。今は諦めている感じです。“ママを見てると、何歳から何やってもいいんだね”なんて言います。」と満面の笑みで答えてくれました。
また、移住直後にコロナ禍になったこともあり、「ずっと宮古島にいるのでしょうか?それとも千葉に戻る可能性は?」と私が聞くと、
「分からないですね。家族に何かあれば、帰ることにはなるでしょうけど。でも、まだ帰れないかな。まだ何も始まってないから! 本当は、宮古島でも活動できるし、千葉でも活動できるというのが理想ですね」と大竹さんは笑いながら語ってくれました。
人生に「もし」はありませんが、もし大竹さんが宮古島に移住せずに、ずっと千葉で活動していたのならどうだっただろうかと、インタビューをしながら私は考えずにはいられませんでした。
千葉での20年近くのセラピストライフで培った芯の部分は、きっと変わらなかったはずです。
しかし、出会う人の多様性においては、宮古島に来たことで格段に豊かになったのではないかと思うのです。
その多彩な経験が、大竹さんの魅力に一層の彩りを与えているのではと思いました。
コロナ禍が終われば、きっと宮古島への観光客も増えていくでしょう。また、都心部のセラピストを招待してリトリート体験をするイベントなども可能になるはずです。
大竹さんのセラピストライフの第2幕は、ますます忙しく活動的になるのでは。
そんな想像をしながら、インタビューを終えました。
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