大分県大分市にて2020年より「もみ処 癒心(ゆしん)」を経営する長野志保さんのセラピストライフを紹介します。
長野さんは10年のセラピスト歴を持ち、2023年4月にパリで開催されたセラピストの世界大会における「エネルギッシュ部門」の優勝者です。
「もみ処 癒心」にて提供される施術は、揉みほぐし、リンパマッサージ、ヘッドスパ、フットリフレ、タイ古式マッサージなど。
豊富なテクニックを使って、お客様1人ひとりの体の状態や相談に対応しています。
また、サロンには長野さん自身のスクールと、ITA(一般社団法人 インターナショナルセラピー協会)認定スクール大分校を併設し、後進の指導も行っています。
「癒心」は、静かな住宅街にある、民家を改装した「和風サロン」です。
琴などの和風の音楽と、畳の匂いに包まれながら、心も体もほっとできる空間を作っているそうです。
「私自身、子供の頃から日本舞踊をしていたので和室や和のテンポが大好きだし、落ち着くんです。アジアンテイストのお店は珍しくないけど、和風サロンはあまり聞かないので、これが個性になっていると思います。お客様にとって『ただいま』って言ってもらえるお店を目指しています」(長野さん談)
実際に、長くリピートしていただけているお客様とは、家族のように何でも話せる関係性を築いており、家族ぐるみ(中には3世代)で利用するお客様もいらっしゃるということです。
「お客様はご自分の不調の原因やその兆しに気付いてないことが多いので、私が実際に施術する中で必要な施術に気付くこともありますし、お客様との会話の中からヒントを得ることあります。揉みほぐしの途中で『ここ延ばした方がいいかな』と気付いて、ベッドの上でタイ古式でストレッチすることもあります」(長野さん談)
インタビューの際には、「以前は全然違う仕事をしていたので、理想のセラピスト像というのが分からないままにセラピストになったんですよ」とはにかみながら話してくれた長野さん。
彼女がどのようにしてセラピストライフを歩み始め、サロンを持ち、世界一のセラピストにまでなったのかを伺いました。
「あなたは絶対にナンバーワンとれるから。がんばりなさい」
長野さんは、温泉で有名な大分県別府市の生まれ。
祖父母が日本料亭を営む料理人一家で、当然のように長野さんもお兄さんも料理人を目指して育ちました。
そして、調理学校を卒業した後、長野さんはパートナーとともに20代で飲食店を始めます。
それは10種類くらいのバリエーションのあるような、2人のこわだりが詰まった「ちゃんぽん専門店」でした。
ちょうど双子のお子さんを妊娠していた頃だったのですが、ギリギリまで厨房に立ち続け、出産後1ヶ月経たないうちに厨房に戻ったそうです。
しかし、景気の悪さに加えて、料理に関して妥協できなかったことから、経営は徐々に苦しくなり、そのお店は3年で閉めることになってしまいます。
その後、長野さんは縁あって、動画やウェブサイトを制作する会社で、モデルやカメラアシスタントとして働くようになります。
また、イベントや動画に携わる中でアナウンサーに興味を持ち、スクールにも通ったそうです。
当時は双子のお子さんを育てながらの忙しい日々であり、学生の頃から悩んでいた肩こりが辛くなってマッサージサロンによく通ったと、長野さんは当時を振り返ってくれました。
そんなある日、長野さんの目に止まったのは、大手サロンがセラピストを募集する広告。
「自分も困っているコリや痛みを取る仕事」に興味を覚えて、応募します。
それまで周囲の人の肩を揉むくらいのことはあっても、当時の長野さんはまったくの未経験者。
右も左も分からない世界に入って研修を受ける中で、長野さんは指導役の先輩セラピストから、こんな言葉を掛けられます。
「あなた絶対にナンバーワンを取れるから頑張りなさい」と。
どうしてそんな言葉をかけてくれたのかは分からなくとも、とにかくその先輩セラピストの期待に応えたいと思った長野さん。
教わった通りの技術を崩すことなく続けたそうです。
その結果、一年後には本当に大分県内ランキング1位となり、そして店舗内ランキングで3年連続1位となります。
こうしてセラピストとしての経験と実績を重ねる中、勤めていた大手サロンでは学ばなかったオイルトリートメントなどの技術を学ぶ機会を得て、長野さんは別のサロンでも施術をするようになります。
その後、知り合いのセラピストから「新しいサロンの立ち上げを手伝って欲しい」と頼まれたことをきっかけに、長野さんは大手サロンを辞め、新しいサロンでメニューの構築や経営について学んだといいます。
そうした積み重ねを経て、2020年に長野さんは個人サロン「癒心」をオープンさせることになります。
私、やっぱり揉むのが好きなんです
「お客様に『ただいま』と言っていただけるような、落ち着いた雰囲気の和風のサロンにしようと考えて『癒心』をオープンしました。でも、大手サロンでは何十人もスタッフがいて、立ち上げに参加したサロンではオーナーがいたのに、自分のサロンを持ったら私1人きり。すごく寂しかったですね。それに、子どもたちもまだ手が掛かる時期だったので両立が大変でした」(長野さん談)
個人サロンをオープンすることは、セラピストにとって新しいステージの始まりでありながら、同時に新しい課題を突きつけられるタイミングとなります。
まだルーティーンや経営方針が定まらないので、地に足が付かないような感覚になりやすいもの。
また、自分の考えを肯定してくれる人がいないので心許なく、長野さんのように孤独感を感じる人も少なくありません。
そんなセラピストにとって助けになるのが、師匠や先輩セラピスト。
ですが、そうした方が必ずしも近くにいなくともよいのが、ネット環境が発達した現代です。
長野さんにセラピストとしての道を示してくれたのは、当時はまだ彼女にとって遠くの人物、2019年大会の「世界一のセラピスト」川上拓人さんの動画でした。
「世界一のセラピストってなんだろう?」と興味を持った長野さんは、世界大会の動画を見て「この方は凄い人だ」と感動。
さっそく彼のオンラインスクールに申し込み、高い技術力の根底にあるマインドにも共感したそうです。
さらに、近隣の県で講習会があると聞けば足を運び、福岡で始まった認定校にも通って学んだそうです。
こうして尊敬できる先輩の技術を目の当たりし、マインドに触れる中で、長野さんもセラピストとしてのマインドに少しずつ輪郭を持たせていきます。
そして、そうした学びは、長野さんを次のステップへと連れていくことになります。
「私もセラピストの世界大会に出てみたい。先生と同じ舞台に立ってみたいという気持ちが強くなっていったんです。それで、一緒に学ぶ仲間たちの前で、『ITA認定講師に合格したら、世界大会に出ます』って宣言したんですよ。それからは旦那さんから『東大に受験するの?』って言われるくらいに猛勉強をしました」(長野さん談)
その後、長野さんはITA認定講師に一発合格。その勢いで2023年4月の世界大会に出場します。
その際に長野さんが大会に向けて立てた作戦が「人とは違うことをしよう」でした。
もちろんそれは、ただ奇を衒った(てらった)演出ではなく、彼女のセラピストとしての特徴を際立たせることでした。
「上は大会のTシャツを着るように決まっていたので、下はいつも履いてる和柄のズボンで、髪もピンクにして出場しました。施術に関しては、ベッドの上に立ってする施術もしたのですが、そのような手技を他の方はほぼされていない状態だったので、審査員の方にはそれを見ていただけたのかな。大会後にお話しさせていただいた時に、『あなたの動きはダイナミックで綺麗だったよ』って褒めていただけたんです」(長野さん談)
そして、長野さんは見事に優勝。「世界一のセラピスト」という称号を得たのです。
「世界一のセラピストになって何が変わりましたか?」と私が訊くと、まず客層に変化があったことを教えてくれました。
というのも、長野さんのお客様は、サロンオープン当初は男性が圧倒的に多かったそうです。
オープン後、徐々に増えてきていた女性客が、パリ大会優勝後には一気に増えたということです。
また、同じセラピストをする方も施術を受けにくるようになって、「そこはちょっとプレッシャーですね」と長野さんは笑顔で答えてくれました。
もう1つ、気持ちの面での変化もあったとのこと。
彼女は、他のセラピストにも積極的に世界に出たり、大会に出場して欲しいと考えるようになったそうです。
「サロンを開く以前の私は、福岡に行くのも怖くて、東京をすごく遠く感じていて、ましてや海外に行くなんてあり得ないことだったんです。それが、セラピーを学ぶために九州隣県や東京に足を伸ばすようになって、大会に出るためにパリにまで行きました。今は自分の行動範囲が広がって、東京がすごく近く感じるし、海外の大会の話があればすぐに航空券やホテルを調べるようになりました。日本のセラピストは殻に閉じこもっている感じがするので、セラピスト仲間にも殻を破ってほしいと思います。私だってできたんですから」(長野さん談)
最後に、今後の展望について聞くと、長野さんは少し考えた後でこんな話をしてくれました。
「サロンを始めた頃は、まさかスタッフを雇うとも思っていなかったし、世界一になれるとも思っていなかったんです。ここ数年で変わりすぎて、今後どうなるかは想像がつかないですね。だけど、進化は続けていきたいとは思ってます。今のお客様はずっと揉んでいくのは大前提として、サロンを増やして新しいお客様にもセラピーを届けたいですね。あと、自分のスクールも、ITAのスクールももっと力を入れたいし、セラピストの仲間も増やしていきたいですね」(長野さん談)
今回のインタビューの中で、彼女自身の気持ちを確かめるように、何度も「私、やっぱり揉むのが好きなんです」と笑顔で答えてくれた長野さん。
面白いことに、彼女が言うような「進化」は加速度的に進んでいくことがあります。
数年後に振り返ってみれば、激動に思えた2023年が「あの頃はまだまだだったな」なんて思えるくらいに、変わっていることもあるでしょう。
彼女が後ろ向きにならなければ、彼女のもとに集まるお客様や仲間が背中を押してくれるからです。
そして、先を行く先輩が「あなたはもっとできるよ」と期待を込めて、新しいステージへと導いてくれるはず。
そう。長野さんがセラピストを始めた時に励ましてくれた先輩セラピストのように。
数年後に思わぬ進化を遂げた姿を期待ししつつ、インタビューを終えました。
校長からのメッセージ
今回は、2023年の「世界一のセラピスト」長野志保さんにお話をうかがいました。
本編でも触れたように、昔の彼女は「人見知りで、大分から外に出るのが怖い」という、内に籠もるタイプだったそうですが、話をしている際はそれを一切感じることはなく、ずっと笑顔で質問に答えてくれました。
「実は、私はとても人見知りで、飲食業の時もお客様とお話するのが苦手だったんです。セラピストは施術中にお客様と目を合わせるタイミングがほとんどなくて、でもすごく近い距離感でお話をしますよね。続けているうちに、顔を合わせなければすごく楽しく話せる自分に気付いたんです。今では、私が人見知りだって言っても、身近な人やリピーターさんは信じてくれないほどです」(長野さん談)
コンプレックスだと思っていたことが、1つの条件を外しただけで、楽しみに変わってしまったというわけですが、きっと飲食での経験やアナウンサーの勉強もきっと活かされているのだろうと思います。
もう1つ、印象的だったのが、セラピストの研修の際に、先輩セラピストから「あなた絶対にナンバーワンを取れるから頑張りなさい」と言われたというエピソード。
どうして先輩セラピストから期待を掛けられたのか?
それを長野さん自身、確かめたことはないとのことでしたが、お話を聞いていると、日本舞踊で培った体の使い方がセラピストとしての素地として、指導する側の目に止まったのだろうと思いました。
長野さんは、3歳から20代まで日本舞踊を稽古をしていたといいますから、きっと体の芯まで所作が染み込んでいるはずです。
フランスの世界大会では、ベッドの上に立って施術をしていたとのことで、それはバランス感覚や体幹がしっかりしていないとできないわざであるはずです。
日本舞踊に限ったことではないのですが、「丁寧に体を使う」という経験がセラピストとして活きるという事例は少なくありません。
もちろん幼少期からやっている必要はなくて、大人になってからヨガや太極拳などを学んで、セラピストの施術動作に活かしている方の話もよく耳にします。
一般的に、スポーツでは、力強く、素早く、勢いよく体を動かすことが求められるのですが、それは「丁寧に体を使う」こととはだいぶ違った感覚なはずです。
そんな話をしているときに、長野さんもこんな話をしてくれました。
「確かに日本舞踊の体の使い方は、施術にもかなり活きていますね。大手サロンでは、いくつかベッドが並んでいたので、他のセラピストさんと姿勢や動きが比較されやすいんです。お客様から『動きが滑らかだよね』とか『姿勢が良いね』ってよく褒めていただきました」(長野さん談)
世界大会などの審査員は、実際に施術を受けるわけではないので、姿勢や動きを見て評価をすることになります。
もしかすると、長野さんのバックボーンにある滑らかで美しい日本舞踊の動きが、評価を助けたのではないでしょうか。
さらに言えば、長野さんがサロンを開いた頃に、動画から先輩セラピストの技量の高さや、動きに込められた思いを見て取ることができたのも、彼女の眼が日本舞踊によって鍛えられていたからなのかもしれません。
今は、時間的・距離的に離れていても、インターネットで様々なセラピストの動きを見られる時代です。
今後、「実際に会ったことはないけど、○○先生の動画で学ばせていただきました」というセラピストもたくさん生まれてくるのでしょう。
同時に移動手段の発達により、海外の大会やセミナーに足を運ぶセラピストも、きっと増えていくでしょう。
もちろん、長野さんがそうしたように自分の殻を破って、外へ踏み出す勇気があればこそですが。
日本のセラピスト同士が距離や時間を気にすることなく、縦に、横に繋がって、互いに励まし合い、高め合えるような環境はすでに整いつつあるのでしょう。
長野さんが言うように、日本のセラピストは内に籠もる傾向はまだまだあります。
かつて長野さんが川上拓人さんの背中を追って外の世界へと踏み出したように、外の世界を知るセラピストが新しい世界へと踏み出せないでいるセラピストの背中を積極的に押していくことは、今後、ますます求められるのではないでしょうか。
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