最近会う多くの人たち。
新たな試みについて語ってくれます。
実はその時にやりとりする話題があります。それが、
人は“他人の物語”に組み込まれることに益々敏感になってきてるよね、というもの。
人を時代と言い換えてもいいのかな?
なぁなぁではなく、敏感になってます。
そこに組み込まれたいと望めば積極的に加わるし、その逆ですとキッパリと距離を置く。
その“敏感さ”とはなにか?その辺をいつも考えています。
『◯◯のために』といくら語っても。
たとえばそれが数としてや一方通行的などと受け取られれば参加するに値せずとなり。
逆に。そこに共感があり関わりから想像できるシーンが自分の物語の一部となる、打算ではなく加わることが自身の価値となるのなら積極的な参加となる。
これは無料でも高額でも、短期間でも長期に渡っても。オンラインであろうとリアルであろうとさして変わりありません。
つまり自分の物語をどうしたいのか?を人はより考えるようになってきている。
個人で活動するセラピストにとりましても。あなたはクライアントの物語にどう関わろうとしているのか?
一方でクライアントはあなたの物語にどう加わってくれるのか?
そのあたりを常に想像できているセラピストは今話題となっている様々なツールやスタイルにもまた振り回されることはなく、自分、他人の抱く物語がなんなのか?をしっかり見つめています。
本当にあなたのそれが価値あるものなのか?を個々が考える良き時です。
それってなんとなくでも伝わりますから不思議ですよねぇ。(文責:谷口晋一)