北海道札幌にて、ドライヘッドマッサージサロン「ラヴァーズ」を経営し、「日本パーフェクトヘッドケア協会代表」として後進のセラピストを育成している、鈴木敬子さんのセラピストライフを紹介します。
鈴木さんは、2006年よりカイロプラクターとして活動し、15,000人を超えるクライアントの体をケアしてきた実績があります。
2009年に「ラヴァーズ」をオープンしてからは、施術と平行して後進のカイロプラクターを指導。
後にドライヘッドマッサージを教えるスクールを作り、2021年に「日本パーフェクトヘッドケア協会」を設立。北海道を中心に学びに来る方々に対してマンツーマンでの指導をしています。
「技術を伝えるためにマンツーマン形式をとっているのは、人の体を触る技術だからこそ、手の感覚を覚えてもらいたいからです。お客様には1人として同じ方はいないので、それは大切なことだと考えています。それに、私も生徒さんのことをよく知りたいんですよね。生徒さんごとに目指す未来像は違うので、それによって伝えたいこともちょっとずつ違ってくるんです」(鈴木さん談)
鈴木さんが代表を務める「日本パーフェクトヘッドケア協会」では、ドライヘッドマッサージを表看板にしていますが、頭蓋骨・顎関節調整、骨盤矯正、肩甲骨矯正、小顔矯正なども合わせて学ぶ事ができます。
これは、カイロプラクターである鈴木さんならではの「頭をみながら全身をみる。全身を通して頭をみる」という考え方によるもの。
鈴木さん自身がカイロプラクティックをベースとしてヘッドマッサージを身に付けたため、このスクールで教えられているのは、リラックスできるだけでなく、全身の調整や不調の解消なども含み、頭皮に留まらず全身についても学ぶ事が出来る鈴木さんオリジナルメソットであるといえます。
当然ながら内容は盛りだくさんです。
ただ、鈴木さんは「スクールですべてを完璧に覚えなくてもいい」と笑顔で話します。
「生徒さんには時々、『全部覚えようとしなくていい』『忘れてもいい』と伝えています。机の上で勉強したことは本当の意味では身にならなくて、実際に必要になった時に調べたり、試行錯誤することで、初めて自分のものになるんです。だから、スクールでは引き出しをたくさん作っておいて、必要な時に思い出してくれればいい。自分では分からなければ、いつでも聞いてくれればいいんです」(鈴木さん談)
こうした理由から、卒業後も練習会や勉強会などのフォローアップの機会も提供されています。
また、開業支援もついたカリキュラムも用意されているので、生徒1人ひとりの実情と能力に寄り添った指導スタイルであることが分かります。
鈴木さんは全身を調整する技術を持ちながらも、オリジナルメソッドとしては「ドライヘッドマッサージ」として集約したことになります。
彼女がどのようなきっかけでセラピストになり、現在の活動をするに至ったのか?これまでの歩みについて伺いました。
自分の手のひらにも可能性があるのなら
鈴木さんが社会人生活をスタートさせたのは銀行員としてでした。
その後、21歳の頃に結婚し、子育てが一段落してからは様々なアルバイトをしてきたといいます。
とくに数字に強いということもあり、そろばん教室で50人ほどの子どもたちを相手に講師を長く続けたそうです。
転機が訪れたのは、彼女が40歳の頃のこと。ある日、ベッドから起き上がれなくなってしまったのです。
もともと何事にも手を抜けない性格だったのでしょう。家事に講師業にと、一生懸命に働き続けるうちに彼女の心身はどんどん疲弊していき、体に変化が出やすいといわれる40歳ごろに、ついにバランスを崩してしまったようです。
肩や首が痛み、背中が軋み、めまいや耳鳴りがして、起き上がることも辛い状態だったと鈴木さんは振り返ります。
何とか病院に行ったものの不調の原因は分かりませんでした。
脳外科、耳鼻科、精神科など思いつく限りに診察を受けても、解決策はおろか原因すら不明。
「ストレスでは」「更年期かも」と、痛み止めと湿布を処方されるだけで、安静にしていても一向に改善しませんでした。
どうしたらいいか分からずに悶々とする中で、鈴木さんの目に止まったのは、近くのカイロプラクティック院のチラシでした。
「以前の私は、病院に行けばお医者さんがなんとかしてくれると思っていて、一方でカイロや整体みたいなものには懐疑的でしたね。『なんか怪しいな』って。でも、体の辛さが少しでも楽になるのなら試しに行ってみるか、くらいの気持ちで初めてカイロを受けに行きました」(鈴木さん談)
その治療院では女性のカイロプラクターが鈴木さんの訴えにじっくりと耳を傾けてくれて、それから「あなたはどうなりたいの?」「対処的な方法ではなく、根本的な改善をしなくてはダメだよ」と言われたそうです。
そのカイロプラクターの言葉に、鈴木さんいわく「半分騙されたと思って」治療院に通い始めたとのことですが、次第に体が楽になっていきました。
そして、不調が改善されていく中で、鈴木さん自身もカイロプラクターの道をイメージするようになります。
「女性の先生が、男性のお客様をバキバキと施術しているのを見て、『かっこいい! 私もやりたい!』って思ったんです。最初はそんなミーハーな気持ちからでしたね」
と、その時の思いを鈴木さんは笑いながら語ってくれました。
ただそこには「自分の手のひらにも可能性があるなら、自立した生き方がしたい」という願望も含まれていたとも。
プロとして価値あるものを提供し、対価として収入を得る。
そうした社会的にも、精神的にも自立した姿への憧れが、当時の彼女の背中を強く押したのです。
その後、5年もの歳月と多大な費用を掛けて、鈴木さんは自分に必要なカリキュラムを受け、経験も積んでいきます。
「カイロプラクティックって、『食べて動いて寝る』ことを重要視していて、そこにプラスして施術があるんです。ですから、運動や栄養素についても学びましたし、睡眠も生理的なことだけではなくて、そのための睡眠環境についても実地で学びました。この頃に、エステやヘッドマッサージの基礎も学びましたね」
(鈴木さん談)
鈴木さんは、最初は既存の治療院を間借りする形でカイロプラクターとしての活動を開始します。
自分のサロンを持てるまでは、ポスティングをしたり、イベントに顔を出したりと、名前を知ってもらってお客様に来てもらうのが大変だったとのこと。
ときには地域の公民館や、住宅展示場で体験会を開いたりもしたそうです。
そして、2009年。鈴木さんはついに札幌中心部にサロン「ラヴァーズ」をオープン。
当初は、カイロプラクティックとエスティックを融合させたサロンでした。
ただ、より施術や勉強に当てたいと思うようになり、すぐにカイロ1本に移行したとのこと。
その後も、新しい技術や知識を取り入れながら、提供するメニューも試行錯誤を繰り返したそうです。
これからも自立の可能性を広げていく
鈴木さんがドライヘッドマッサージを取り入れるきっかけとなったのは、息子さんからある悩みを打ち明けられたことでした。
当時、息子さんは20代半ば。薄毛に悩み、メンタル的にとても落ち込んでしまっていたのです。
この時に「私にできることはないかな」と鈴木さんが思い出したのが、ドライヘッドマッサージでした。
以前に学んだドライヘッドマッサージを理論から勉強し直して、新しい情報を取り入れたそうです。
結局、息子さんは施術を受けてくれなかったとのことですが、この時の新しい学びの中で、鈴木さんは「これからは、これを仕事にしよう」と考えるようになりました。
「最初は、髪の毛のことならヘッドマッサージって単純に思っていたんですよ。でも、勉強するうちに、カイロとの組み合わせに可能性を感じたし、カイロでは味わえなかった喜びに出合ったんですよ」(鈴木さん談)
頭蓋骨周辺に触れるのなら、顔の筋肉はもちろん、首や肩甲骨のポジション、さらには骨盤の調整も関連してきます。
一時のリラクゼーションだけでなく、全身との関連、根本的な原因にも目が向いてしまう。
それは長くカイロプラクターをしてきたからこその気付きなのでしょう。
そうした角度で掘り下げたことで、鈴木さんのドライヘッドマッサージは、眼精疲労や不眠、頭痛、肩・首・背中の痛み、さらには自律神経に関連する不調にまでアプローチできるようになっていきました。
鈴木さんがドライヘッドマッサージに惹かれた理由はもう1つあります。
「相手に気持ちよかったって言われることが、こんなに嬉しいことなんだって、気が付いたんです」
そう彼女が振り返ったのは、それまでずっと「とにかく結果を出さなければ」と自分にプレッシャーを掛けていたことに気が付いたから。
実は、カイロ中心の頃の鈴木さんは、「セラピー」の持つ「ふんわりとした雰囲気」に懐疑的で、「セラピスト」と呼ばれることも避けていたそうです。
たしかに、筋骨格系のアラインメントを物理的に調整する「リアル」な施術スタイルに比べて、リラクゼーション系の施術スタイルを「ファンタジー」のように捉える人は、世間的には少なくありません。
その違いに気が付くというのは、別の国に行った時に感じる「カルチャーショック」と似ているかもしれません。
純粋に「気持ちいいこと」をお客様が喜んでくれることにも価値があり、それでこそ得られる効果がある。
それは鈴木さんにとっては大きな驚きと発見だったのです。
鈴木さんは息子さんの悩みをきっかけにセラピーという別の世界感に出合い、新しい生き方を見つけたということなのかもしれません。
「ドライヘッドマッサージをして『気持ちいい』と喜ばれた時、それまでの自分が『いわゆるゴリゴリとした施術で結果を出さなきゃ』っていうこだわりに凝り固まっていた事に気づいたんです。お客様には喜んでもらえるし、私も心が満たされる。ドライヘッドマッサージは教えるのも好きですよ。気持ちがいいって喜ばれる技術を教えてあげられるのは、私も嬉しいんです」(鈴木さん談)
実は鈴木さんは、ずっと「仕事は苦しいもの」と思ってきたそうです。
ですが、サロンのメニューをドライヘッドマッサージ中心にし、ドライヘッドマッサージを教えるようになってからは、「仕事が楽しいもの」に変わったと笑顔で語ってくれました。
そうした体験から、彼女のサロンは2018年に『ドライヘッドマッサージ ラヴァーズ』へと生まれ変わりました。
そして、スクール事業を続ける中で、卒業したセラピストたちの活動環境を整えるために、2021年に「日本パーフェクトヘッドケア協会」を設立。今に至ります。
現在はサロンワークの比重が高いそうですが、今後はスクールや協会の活動に軸を移していき、ゆくゆくはインストラクターを増やしていきたいそうです。
それでも、「これからもサロンにはずっと立ちたいですね」と、鈴木さんは笑顔で語ってくれました。
サロンは、自分のスタイルでの施術を提供できて、それを喜んでくれるお客様が集まる場所。
スクールは、様々な背景を持った生徒さんが集まってきて、それぞれのスタイルを身に付けて巣立っていく場所であり、また戻ってこれる場所。
その2つの場をバランス良く行き来しながら、サロンのお客様や、スクールの生徒さんの可能性を拡げていくこと。
それこそが彼女にとっての「自立」の形なのだろうと思います。
17年前に「手のひらに可能性を」と願い、1人の女性が自立すべく新しい道を歩み始めたように。
これからも、ご縁の繋がる人々のそれぞれの手に、それぞれの可能性を手渡していくのでしょう。
校長からのメッセージ
今回は、カイロプラクティックをベースにした、オリジナルのドライヘッドマッサージを確立し、後進に伝えている鈴木敬子さんにお話を伺いました。
実は、私が彼女と初めて出会ったのは。8年ほど前のことです。
その頃の鈴木さんは、勉強熱心だけれども、「こうあらねばならぬ」という鎧を着ているような緊張感がありました。
今回のインタビューの中では、「自立」という言葉が彼女の口からよく聞かれましたが、以前の彼女は何かに負けまいと踏ん張って立っていたのかもしれません。
それが今回、1時間半ほどのインタビューをしていて、その頃とは印象が随分変わったように私は感じました。
カイロプラクティック風に言えば、「肩の力が抜けて、あるべき状態にアジャストして、楽になった」という印象です。
もしかしたら、それが鈴木さん本来の姿なのかもしれません。
そんな昔の話をしていると、鈴木さんも「変わったよねって身近な人に言われるようになったの」と笑顔で語ってくれました。
「妹からも『お姉ちゃん変わったよ』と言われるんですよ。実は、最初はサロンを妹と一緒にやるはずだったんです。なのに、オープン前に妹に断られてしまったんです。最近、妹と話していて分かったんですが、どうも当時の私が厳しすぎて『親よりも恐い』って思われていたみたいです。それで一緒にやりたくなかったんだと。改めて振り返ってみると、私も変われているってことなんですかね。今は、生徒さんに『先生って突拍子のないことを始めますね』とからかわれるくらいです」(鈴木さん談)
以前と変わったと言えば、協会を設立したこと自体、鈴木さんにとっては思い切った変化であるようです。
「協会を作ったんですけど、本当はコミュニティを作るのって私の一番苦手なことなんですよ。でも、将来的に『こうなりたい』っていうイメージを実現するために必要なことだと思ったんです。自分の苦手なことだって分かってるのに、私、何やってんだろうって思いますけど、『自分が変わらないとできないよな』っていうことも分かるんです」(鈴木さん談)
人が「変わること」には大きなエネルギーが必要で、心身の負担も大きいものです。
ですから、「やりたいことが叶う喜び」と「変わることに伴う負担」を天秤に掛けた時、往々にして「変わることに伴う負担」から逃げる選択肢を選びがちです。
この辺りについて、鈴木さんには「自分のお尻を叩く」ような行動原理を持っているということも、今回のインタビューで分かりました。
「私、新しい技術を勉強しようと思う時には、その前に『こうやりたい』っていうイメージが大体、頭の隅にあるんですよ。それで、勉強しに行く前に予約をとっちゃうんですよ、お客さんに。『今度こういう資格を勉強してくるからいかがですか?』って。そうやって、自分に負荷かけていくんです。ヘッドマッサージの勉強に行った時も、行く前に何人かお客様にお声掛けしておいて、帰ってきたらすぐにメニューに入れましたね」(鈴木さん談)
この方法は、事前に自分が飛ぶハードルをちょっと高めに用意するようなもので、当然プレッシャーが掛かります。
ですので、向き不向きがあって、誰もでもお勧めできる方法ではないでしょう。
ですが、何かを始める前、何かを学ぶ前に、事後の事を具体的にイメージすることは、原動力にもなりますし、自分事として学びを進めることができると思います。
鈴木さんの場合、ヘッドマッサージを勉強するきっかけとして息子さんの悩みがあって、その解決のためという、とても具体的な状況はあって、自分事として学び取ったことが、オリジナルメソッドの開発へと繋がっていったのかもしれません。
つまりこれは、鈴木さんが生徒さんに「すべてを完璧に覚えなくてもいい」と言っていることと同じです。
実際に必要になった時に、ようやく人は本腰を入れて行動に移すことができるし、それでこそ本当の意味で学びが身になるのです。
鈴木さんのように、勉強する前にお客様からの予約までとってしまうというのは、その応用テクニックなのかもしれません。
ハードルを自分で高めに作っておいて、それを飛ぶために必要な行動をせざるおえない状況に自分の置くわけですから。
とはいえ、これは人を選ぶ方法で、鈴木さん自身もこう仰っていました。
「私がやった方法を、生徒さんが同じようにできるかというと、そうじゃない。だから、私はこうだったよっていう話はしますけど、強制はしないですよ。それを求めてしまったら負担になる生徒さんもいますから。ただ、今、お客さんがいるセラピストさんやネイリストさんとかなら、資格を取る前にお客さんにどんどん話しちゃっていいんじゃないかな、とは思いますけど」(鈴木さん談)
何かを学ぶ前に、「こうなりたい」「こうしたい」というイメージをしてもらうという意味では、鈴木さんが生徒を受け入れる前に(オンラインも含めて)必ず面談するということも、それが生徒にとって重要な原動力になると考えてのことなのかもしれません。
もちろん、互いのことを知る機会にもなるし、疑問を解消した上で納得して学びに臨んでもらうという意味もあるでしょう。
ただ、目的は勉強することではなくて、勉強した後にあるのであって、それをちゃんと見据える機会として、とても大切なことだろうと思います。
と、ここまで書いてきて、ふと思い出したことがあります。
鈴木さんが40代で立ち上がれないほどに体調を崩した時、半信半疑で行ったカイロプラクティック院で言われたこと。
それは「あなたはどうなりたいの?」という問いでした。
もしかすると、技術以前の大切なことを、鈴木さんはあの時に受け取っていたのかもしれません。
そして、これからは、彼女がそれを次の世代に受け渡していくのでしょう。
コミュニティ作りは苦手だという鈴木さん。そんな彼女だからこそできるコミュニティ作りがきっとあって、彼女がイメージに向かって動き続けるかぎり、彼女らしいコミュニティが出来あがっていくのだろう。
そんな期待をしつつ、インタビューを終えました。
日本パーフェクトヘッドケア協会
https://jpheadcare-association.com/