北海道には千歳市と札幌市に、東京には代々木上原に、活動拠点を持つボディケアセラピスト、和久政寛さんのセラピストライフを紹介します。
和久さんはセラピスト歴24年。
彼の施術の特徴は、「酸欠を起こして固くなっている筋繊維に刺激を与える」というもの。
足先から頭まで、全身の150以上の主要な筋肉に指先で触れて、筋肉の中にできた小さな固い塊を探り当てるのだそうです。
「最初は母趾外転筋という足の親指を動かす筋肉から始めて、次にその隣の長母趾屈筋に触り、短趾屈筋、小趾外転筋というふうに筋肉1つひとつに触れていくんです。そうやって足から順に、ふくらはぎ、腿、臀部、腰、背中、肩、首と全身の筋肉に触れることになります。筋繊維が酸欠で疲労してる部分はコリコリしてるので、それを指先で探しあてて、的確に刺激するんです」(和久さん談)
筋肉を揉みほぐすのでも擦るのでもなく、ピンポイントで刺激することにより自然治癒力を活性させるということなので、鍼治療に近いのかもしれません。
ただ、お客様は着衣のままなので、足以外は衣服越しに筋肉の奥を探ることになります。そのため和久さんは、指先をまるで高精度センサーのように使います。
「衣服の下に皮膚があって、皮膚の下に脂肪があり筋肉がある。筋肉にも層があって、どの層にアプローチしてるかを分かっていなければいけない。それに触れる角度が的確でなければ見つけられないし、刺激が強すぎても弱すぎてもいけないんです。この技術を教わった師匠からは『筋肉と対話をしなさい』『筋肉の声を聞きなさい』とずっと言われてきました。指先のセンサーの精度はこれからもずっと向上させていくものだとは思うんです。そういう意味では、まだまだ修行中です」(和久さん談)
和久さんのもとに来るお客様は、はじめは肩や首、腰などに不調を抱えている方が多いそうです。
ただ、和久さんの施術は全身くまなく行われるため、結果的に姿勢も改善され、「全身が楽になった」「視野が広がった」「呼吸が深くなった」「足取りが軽くなった」などの感想をよくいただけるのだそう。
そして、部分的な不調が改善された後もメンテナンスのために通うリピーターさんもいて、中には24年もの間、和久さんの施術を受けている方もいるとのことです。
施術は最初はいくらか痛みがあるそうですが、全体が改善されていくと気持ち良くなっていき、多くのお客様が下肢の施術を終える頃には眠ってしまうといいます。
和久さんは起きているうちはお客様との会話をし、お客様が眠った後は筋肉と会話をしてるようです。
実は、和久さんがセラピストライフを始めた時に身に付けた手技はカイロプラクティックでした。
しかし、上記のように今はまったく別の職人芸のようなスタイルに至っています。
彼のセラピストライフがどのように紡がれてきたのか、インタビューの中でうかがいました。
最初はきらびやかな世界に憧れて
和久さんは、兵庫県加古川市生まれ。学生時代を振り返ってもらうと、
「本当に何も決まってない学生時代でしたね」と言います。
大学はデザイン科でしたが、それは和久さんいわく「受験勉強はできなかったけど絵は描けたから」。
在学中は、日々、水泳のインストラクターのアルバイトをこなしながらも、肝心のデザインには身が入れず、卒業する頃になっても将来像が定まらないまま。
結局、卒業後はスキューバダイビングをする目的でオーストラリアへ1年間のワーキングホリデーに行きます。
それでも目標が見つからずに、帰国後に水泳のインストラクターに戻っています。
「そろそろ就職しないと」と焦り出したのが、25歳の頃。
和久さんいわく「うつになりそうなくらいに」悩んだそうです。
そこで彼が行ったのが、「自分の好きなこと」と「過去に成果のあったこと」のリストアップでした。
「体を動かすのは大好きだったし、水泳を子供や大人に指導していたので、人に何かを教えるっていうことも好きだし、得意だということには気づいていました。それに、僕は絵やプラモデルみたいな指先を使うのは得意。人と接するのは好きだけど、会社組織には向いてなさそう。デスクワークも違うかな。そんな風にリストを書き出していって、分厚い資格本と付き合わせてみたんです」(和久さん談)
自分にできる仕事を探して資格本を捲ったところ、和久さんの目に止まったのは鍼灸マッサージ師や柔道整復師でした。
ただ、それらは当時、専門学校に通うことは難しく、探していく中でカイロプラクターという仕事があることを初めて知ったのです。
そして、あるカイロプラクターの書籍を読み、興味を持ってその方のクリニックへ行ったそうです。
「面白そうだと思って東京まで夜行バスで見学に行ったんですよ。そうしたら、僕の思ってる治療院とは全く違っていたんです。そこは芸能人も来るような美容メインのクリニックで、青山の高級マンションの1室でやっていて駐車場にはフェラーリとかが止まっていてね。どうせやるなら、こういうのがいいかなって。最初の頃はミーハーな気持ちがあったので、そういうきらびやかな世界に惹かれて、そのクリニックに就職したんですよ」(和久さん談)
これを契機に和久さんは上京し、クリニックの仕事を手伝いながらカイロプラクティックを学ぶことになりました。
ところが、上京して数ヶ月後に、彼自身の身に大きな変化が起きます。
ある日を境に体調が悪化し、下血するようになったのです。
医師の診断は「潰瘍性大腸炎」。厚生労働省が定める指定難病です。
聞けば、上京してからは風呂なしトイレ共同の古いアパートに住んでいて、仕事の人間関係に悩みもあるなど、環境の変化によるストレスがあったそうです。
そこへお酒を飲み過ぎてしまったことが祟ったのかも、と和久さんは振り返ります。
「人を健康にする仕事に就いたのに、自分が不健康になってしまった。でも、すぐに実家に帰るなんて言うわけにもいかず、そのままやるしかなかったんですよね」(和久さん談)
その後、和久さんは技術を習得してお客様の施術に入るようになりますが、自分の病気と付き合うためにクリニックにあった書籍で様々な民間療法や心理学系の勉強をしたり、鍼灸など東洋医学の治療を受けたりもしたそうです。
そうした学びのなかで自分の病気と上手に付き合う方法を掴んでいきますが、それでも時には貧血でフラフラになったり、施術の途中でトレイに行かなくてはいけないようになり、仕事に就いてから5年ほどで独立を決めます。
一人でなら自分のペースでできるだろうと考えたからです。
インドでの出会いそして一冊の本を手にして
そして、2005年、和久さんは独立開業します。
場所は高田馬場。いつか独立することを考えて、2年ほど前に住み始めた物件でした。
実は、そこに引っ越した頃から、練習として格安で施術を提供し始めていて、ある程度のリピーターがいる状態でのスタートでした。
独立後は、経営者や治療家の集まりに顔を出して知見を広げ、興味を惹かれる治療法があれば施術を受けたり、勉強したりしたそうです。
ある日、アーユルヴェーダの大家が日本に来ることを知った和久さんは、その先生に会いに行きます。
すると、「インドに来てパンチャカルマという3週間のプログラムを受けないか」と誘われたのです。
これも何かの縁だろうと、2014年の1月に和久さんは思い切って1ヶ月間の休みを作り、インドへと渡ります。
その学びは面白く、とてもタメになったそうですが、和久さんはもう1つ不思議な出会いをします。
アーユルヴェーダのプログラムを終えて最初に入ったレストランで、日本人旅行者の二人に出会ったのです。
話してみると、世界中を旅しているうえに日本では自然に囲まれた一風変わったライフスタイルをしているといいます。
和久さんは帰国後にその日本人旅行者を尋ね、親交を深めます。
その際に彼らが持っていた一冊の心理分野の本に惹かれ、そこに書かれていることについて情報を集めているうちに、和久さんはある人物に辿り着きます。
そして、その方のセミナーに参加したところ、和久さん自身が今まで学び、経験してきたものが1つに繋がるような感覚を覚えたそうです。
その方は、今では彼にとって大切な師匠の一人となっています。
さらに、2020年に、施術技術の面でも大切な師匠に出会います。
酸欠して固くなった筋繊維にピンポイントで刺激する手技を、和久さんに指導してくれた方です。
「正直、最初は他のマッサージとの違いがよく分からなかったんですよね。だけど、僕が信頼する方から紹介いただいた治療家さんだったので、絶対に何かあると思いました。それで、その治療家さんと話していると、技術の奥深さだけじゃなくて、想いや情熱の面でも、自分とはレベルが違う感じがしたんですよね。こんな意識でやってるんだ、みたいな」(和久さん談)
こうして新しい技術を学び始めると、和久さんの研究心に火が付き、前述した職人芸のような施術スタイルへと至ったのです。
その後、心理分野の師匠の後押しもあって、2023年10月に和久さんは今のパートナーさんが住む北海道の千歳へ移住します。
東京のお客様にも引き続き施術を提供したいと模索する中で、お客様のお一人から部屋を貸していただけることになり、代々木上原に施術スペースを確保できたそうです。
千歳に移ってからは、自宅と居酒屋の2階に施術スペースを確保し、札幌にも友人の自宅の一室を借りて施術を提供できるようになりました。
現在は、LINEやメールで予約を受け付けて、和久さんが各拠点に移動するという形を取っています。
「振り返れば、何人もの人との出会いやいくつもの出来事が今に繋がっているんですよね。僕の意思とは関係なく流れが始まって、それに乗ったような感じです。以前なら、僕は寒いのが苦手だから北海道に住むなんて考えてもみませんでしたから。そうした経験から、自然に起こった流れならば乗った方がいいだろうという感覚が僕の中にはあります。もちろん決断の時には、ものすごく悩んだり、怖さもあって、エネルギーをものすごい使うんですけどね」(和久さん談)
「ただ、一方で自分の意思でグリップする部分も必要なので、そのバランスはこれからも試行錯誤ですね。頑固になりすぎると自分の可能性を狭めてしまうし、フワフワしていると僕が誰に向けて施術や情報を発信するのかもあやふやになって、誰にも伝わらないかもしれませんから。だから、自分のやっていることを明確にして進みながらも、もしも『そっちじゃないよ』という流れが起きたのなら、その時には勇気を出して流れに乗ってみるという気持ちも大切にしていきたいですね」(和久さん談)
彼の言う「流れに乗る」とは、決して「流される」ということではありません。
「流された」ことで不幸な結果になれば責任転嫁しがちだし、良い結果が得られたとしても、それは実力ではなくただの運です。
「流れに乗った」場合は、自分の意思で選んだのですから、結果の良し悪しに関わらず学びになります。
ただ、どこに流れ着こうとも「結果的にいい方向にきた」と振り返る人が多いというのが、これまでたくさんのセラピストたちにインタビューをしてきての印象です。
自分の決断や行動の結果を学びに変え、次のステップに繋げられるのも、メンタルの強さの1つなのかもしれません。
「質問に対して『こうだな』って思いながら喋ってるので、何か確固たる信念を持ってるわけではないんですけどね」と、少しはにかみながらインタビューに応じてくれた和久さん。
その言葉からは、彼が常に自分の心と対話する習慣を持っていることが伺えます。
いずれまた流れが来た時には「乗っちゃう? どうする?」と自分と対話しながら、これからも心の惹かれる方向へと歩んでいくのだろう。
そんなことを考えながら、インタビューを終えました。
校長からのメッセージ
今回は、北海道と東京に、複数拠点を持つボディケアセラピスト、和久政寛さんのセラピストライフを紹介しました。
近隣地域に複数店舗を持つセラピストは数多くいますが、北海道と東京という離れた拠点を一人のセラピストが持つというのは、なかなかできるものではありません。
これは本編で触れたように、様々な人や出来事が繋がって生まれた結果であるわけで、和久さんがお客様や師匠たちに誠実に向き合ってきたからこそ生まれたセラピストライフだといえます。
もちろん今の状態が最終形ではないかもしれず、これからもきっとバランスを取りながら形を変えていくのでしょう。
さて、和久さんは学生時代に目標が持てず、「自分の好きなこと」と「過去に成果のあったこと」のリストアップをして、自分にできそうな職業を探したという話を紹介しました。
いわば、自分の能力の棚卸し。キャリアコンサルティングでもよく使われる手法です。
この話題の中で、大学時代に水泳のインストラクターをしていた時のことをこんな風に語ってくれました。
「水泳の何が好きなのかな?って思うと、水泳ってすごく繊細な感覚が必要なんですよね。ほんのちょっとの手の角度の違いによって、キャッチする時の水を量が変わってきます。自分の体がどのくらいの深さにいるかによっても推進力が変わります。次の1本をちょっとフォームを変えて泳いでみよう。次はこう変えてみようと試していくと、泳ぐ度に違いが自分の体でわかるんですよね。そういった試行錯誤が僕はとても好きなんですよね。そうしているのが、周りには情熱的に見えるのかもしれません。僕自身は楽しんでるだけなんですけどね」(和久さん談)
今の施術テクニックについて説明してくれる時と同じような語り口だったことが印象的で、なるほどこれが和久さんの強みなのかと内心で驚きました。
ご自身は「受験勉強ができなかった」と苦笑いしていましたが、いざ研究心をくすぐられれば、高い集中力で解像度の高い分析ができるのだろうと思います。
そして、彼がどんなことに興味を惹かれるのか。それは本人がインタビューの中で何度も口にしていた「本質的なもの」。
本質により近いと彼が感じたものに出会った時、力が漲ってくるのではないでしょうか。
セラピストは決して勉強ができなくてもできる仕事ではありません。しかし、それは学校教育での成績の良し悪しと必ずしも合致するわけではないのかもしれません。
「体の改善で心も軽くなるという方向があるように、心へのアプローチで体を変えるという方向もあるんじゃないかと考えています。心理の分野で学んだことが、施術の中にどう融合させられるか。それはこれからのテーマですね」(和久さん談)
和久さんはすでに新しいテーマを見据えて、探求を続けています。
指先のセンサーで筋繊維にできる小さな塊を探す時と同様に、彼が心のセンサーで本質を求め続けるかぎり、新しいステージへと導く「流れ」はきっと現れ、それに和久さんは勇気を出して乗り込んでいくのでしょう。
今持っている手技にこだわるセラピストライフもいいでしょう。
けれど、ときには流れに乗って知らない世界へ行ってみる。
そんなセラピストライフもアリなんじゃないか。
インタビューをしながら、私はそれを誰かに伝えたくなりました。