個人で活動する、セラピストというのは元々『ピン』という存在です。
ちなみにピンとは一人で立つもの。
ポルトガル語で「点」を意味する「pinta(ピンタ)」から来たものらしいです。
僕は常々、セラピスト自身がピンである自分を意識しているかどうかがとても大切なんじゃないかなぁって思ってます。
個人セラピストがピンの存在であるがゆえに
セラピーだけでなく、その前後の準備も後片付けも。
新規に集客するのも継続利用していただくのも。新たな取り組みも。変わらず続けてすることも。
なにからなにまで。最終的にはその責任のゆえに一人で決めて、一人でします。
そこで。たとえば孤独であるとか、だれにも相談できないといったお話も聞きますが。
それでも。なぜ個人セラピストという存在がなくならないのか?そして続けようとするのか?
やっぱり。
それらを凌駕する、個人セラピストでなければ得られないものがあるのだと思います。
根源的な喜びが随所に
セラピスト一人ひとりに聞くと分かるのですが、それがちょっとしたことでも。周りからすれば大したことでなくても。
セラピストでいてよかった、という根源的な喜びが随所に、それも日々あるのだと。
お客様はそれを言葉にするか行動として表すかは別として。
沢山の中から「たまたま、あなたがいたのでではなく。やはりどうしてもあなた(セラピスト)が必要だ」と。
そんな関係性をお客様側がはっきりと自覚するようになったというのが、これまでとコロナ禍からとの違いの一つです。
個人セラピストであるがゆえに。
その責任も。またその喜びも。
自分一人で受け止め、また噛み締められるものです。
だからこそ、ずっとクライアントを見続けることができるし、セラピストであり続けられるのだと思います。