2001年に大阪府藤井寺市で「心月整体院」を開業し、現在は奈良、神戸、大阪梅田の3店舗を経営するサロンオーナーでもある、整体師の泉尾英嗣さんのセラピストライフをご紹介します。
泉尾さんは中国北京やシンガポール、香港で、小顔矯正と骨盤矯正の技術を伝承する活動をしており、今後は海外でのセラピスト育成に力を入れていくとのことでしたので、この記事では「国際育成セラピスト」として泉尾さんを紹介していきます。
現在、泉尾さんの「心月整体院」は、女性専用で美容面でのご要望に応える整体院として運営されています。
たとえば、小顔矯正、骨盤矯正、姿勢改善、セルライト除去、痩身などのメニューを提供し、ご要望によって肩や腰の痛みなどの不調改善にも応じています。
この連載記事の分類で言えば、泉尾さんはいくつものカテゴリーを経験している事になります。
2001年3月に自宅で整体院を開業していますので自宅サロンセラピストでもあり、奈良に移転後、2007年に神戸、2011年に大阪で店舗を開き、スタッフを育成しつつ経営していますのでサロンオーナーセラピストといえます。
また、大阪梅田店で2003年に「整体師養成学院(現、心月女性整体師養成学院)」を開いて後進の育成にあたり、2018年7月から海外に出向いて技術伝承を行っていますので、育成セラピストでもあります。
「セラピストとしての仕事としては、たしかにいろいろやっています。ただ、最終的に『今の本業は何ですか』って聞かれたら、『海外で活動する方たちに美容整体を教えてます』というのが一番最初に来ますね」(泉尾さん談)
泉尾さんがどのような経緯で整体師になり、そして海外に技術を伝えるようになったのか?
セラピストの世界に入るきっかけから、これまでの歩みを聞かせていただきました。
自分の技術を必要としてくれる人がいるかぎり
泉尾さんに整体師になる前のことについて聞くと、
「以前は公務員でした。大阪にある公立高校で事務員として働いていました。9年間くらいですかね」と話してくれました。
特になりたい職業がなかったという学生時代の泉尾さん。
「安定の代表」という考えから公務員になったとのこと。
そして、高校事務に配属されるのですが、始めた頃から「自分には合っていないな」と思っていたそうです。
つまり彼が「安定の代表」だと入った世界には、「代わり映えのしない日々」が待っていたのです。
もちろんそれらの日々を望む人もいます。
ですが、泉尾さんはそんな生活にフラストレーションを感じていて、「これでは自分がダメになる」と一大決心して、退職するに至ります。
では、何がしたいのか? その問いを自分に向けた時、幼少期にテレビで見た整体師の姿が思い浮かんだそうです。
さらに、当時、彼のパートナーが体のケアのために、様々なサロンや整体院に通っていたそうで、「この先生がすごい」と最終的に通っていた整体院の話を聞き、泉尾さんはその整体院を訪ね、師匠となる人物に出会うことになります。
泉尾さんにとって、そこでの学びの時間は何よりもかけがえのない時間になります。
セラピストライフを通して支えとなる技術と考え方を身に付けることができたのです。
泉尾さんが整体院を開業したのは2001年3月のこと。
「心月整体院」という名前は、姓名判断の先生からもらった「悟りを開いた清らかな心」という意味で、泉尾さんの目標を表した名前なのだそうです。
その後、「心月整体院」は2001年5月に奈良県大和高田市へ移転しています。
こうして整体師として歩み始めた泉尾さんに悲しい別れの時がきます。師匠が他界されたのです。
彼が弟子入りした時には、すでに病に冒されていたとのことで、泉尾さんは師匠の晩年弟子の1人ということになります。
泉尾さんは師匠から受け継いだ整体の技法をさらに磨きたいと考え、「中国国立大連医科大学」の日本校に通うなど、技術と知識を深めていきます。
その中で、泉尾さん自らも後進の育成に乗り出し、2003年に「整体師養成学院」を開講しています。
さらに、女性向けに、リラクゼーションと美容、健康が一体になった施術方法を開発し、セルライト除去や小顔矯正、骨盤矯正をメインメニューとした整体院へと成長させていったのです。
2014年には、女性向けの整体術を伝える場として、自分のスクールを「心月女性整体師養成学院」に改名しています。
「師匠はご自身に残された時間が短いことを覚悟されながらも、自分が培ってきた技術が失われてしまうのはもったいないと、常々言ってました。それを聞いて、僕は師匠の技術を何とか遺していかなければと思っていました。僕なりに学び、今は新しいことをしていますけど、そのベースにあるのは師匠からいただたいものなんです」(泉尾さん談)
教わり培った技術を海外にも
そんな泉尾さんが、海外に進出するきっかけは2018年に突然やってきました。
「怪しい日本語のEメールが届いたんです。中国から。最初これは怪しいなと思って削除したんです。その数ヶ月後に、また同じようなEメールが届いてね。なんとなく気になって、ちゃんと読んでみると、北京の美容関連事業者らしい。僕のことを知って興味を持ったので、是非話が聞きたい。そんな内容でした」(泉尾さん談)
そうした始まったやり取りのなかで、泉尾さんに「海外進出」という発想が芽生え始めます。
実際に泉尾さんが北京での指導を始めたのが、翌年のこと。小顔矯正と骨盤矯正を教える5日間のセミナーを開催することになります。
参加者は、中国人やシンガポール人、アメリカ在住の中国人など、10名ほど。
皆、自分のサロンを持ちたい、あるいは自分のサロンメニューをブラッシュしたいという人たち。
北京で開講したにも関わらず遠くアメリカ本土やシンガポールからわざわざその学びのために生徒さんたちはやってきたのです。
そこで泉尾さんはこれまでとは違う「熱量」を感じたそうです。
その後、北京でのセミナーは計6クール行われますが、新型コロナの流行でストップしてしまいます。
ただ、泉尾さんは海外にも自分の技術を必要としてくれるセラピストがいることを知り、彼の中で「自分が教わり、培った技術を海外にも」という思いが膨らんでいったそうです。
そして彼は北京だけでなく世界中のセラピストが学ぶことのできるスクールを立ち上げるべく様々なアクションをおこします。
自ら海外事業を手伝ってくれるパートナーとの出会い。
事業化を目指して活動を積み上げていきます。
そして香港とシンガポールでのスクール開講とつながっていくのです。
「確かな技術を持ったセラピストを世界中で養成したい」という思いが今まさに動き始めています。
日本と海外の生徒の違いを聞くと、泉尾さんはこんな話をしてくれました。
「たとえばですが技術内容ひとつとっても、その場の雰囲気で理解してもらう。海外だとそういうのがまったく通用しません。講師は生徒からの質問にストレートに答えないと納得してくれません。小顔矯正なら目の前でそれを見せないといけませんし、医学的な知識を持った人もいる中で解剖学的な根拠を伝えないといけません。ましてや講師のネームバリューでだけで絶対に納得してくれません。僕的には、そこが性に合っているところでもありますね」(泉尾さん談)
いくらすごい触れ込みでも、目の前で結果を見せなければ納得しない。
さらに、結果が出たならば、なぜそうなるのかを医学的な観点で説明できないと、再現性がないと見られてしまう。
そんな風潮に対して、泉尾さんは根拠を曖昧にせずに伝えることを重要視し、教科書も徹底的に作り込んだそうです。
そして、受講後の生徒さんたちから「身近な人で教わったことを試したら、こんなに効果がでました」というようなメッセージを受け取ることもあるとのことで、そうして信頼関係を築くこともできたと、泉尾さんは嬉しそうに話してくれました。
こうした海外の生徒さんが持つ「熱量」が、泉尾さんに新しい事業への行動力になっているようです。
「ボディケアセラピストとして20年以上活動してきて、気づけば年齢も51になりました。徐々にペースダウンしていくというセラピストライフも、全然いいと思うんです。だけど世界からみた日本のセラピーはとても求められているし、吸収しようとする生徒さんたちの姿にものすごく刺激を受けてしまったんです。今は、彼らに動かされている、生かされているみたいな感じもあります」(泉尾さん談)
泉尾さんが、かつてお師匠さんのもとで学ぶ日々の中で、何気なく耳にした「この技術がなくなるのはもったいない」といういう言葉。
病に冒されながらも、そのお師匠さんが1人でも多くの弟子にと、技術と知識を注いだのは、きっと泉尾さんのような熱量を持った弟子がいたからで、その刺激を受けてお師匠さんも最期まで教え続けたのではないでしょうか。
そして今、泉尾さんが海外の生徒さんたちから刺激を受けて、「自分の技術を必要としてくれる人がいるのだから」と動き始めている。
かつてのお師匠さんが見ていた景色と、今の泉尾さんが見ている景色は、きっと重なっているのではないか。ふと、そんなことを考えたインタビューでした。
校長からのメッセージ
今回は、海外に向けたスクール開講へと、新しいステージに挑戦しているボディケアセラピスト、泉尾さんのインタビューを紹介しました。
きっかけは海外からのオファーでしたが、その事業が一旦途絶えてもなお新しい関係性を開拓して海外事業を続けようとする意欲に、驚かされるものがありました。
日本のセラピストたちが培ってきた技術は海外から求められるものとなると、私は感じています。
それは日本古来の整体などの技術だけでなく、もともと海外から入ってきた技術であっても、日本人特有の工夫と改善の精神によってブラッシュアップされたり、おもてなしの精神によってホスピタリティの高さが付加されたサロンワークが、海外のお客様やセラピストに求められているからです。
実は新型コロナが流行する前に、すでにその流れは始まっていました。
日本のセラピストが海外に招聘される事例は、いくつも耳にしています。
しかしその流れは、このたびのパンデミックによって一度は途絶えてしまいました。
ただこれからは違います。
日本に長く滞在する外国人もたくさんいて、きっと日本のセラピー文化に触れる方たちも少なからずいるはずで、海外で受けるセラピーとは違った「日本のセラピー」を心身で感じてくれるはず。
今後、「日本のセラピー」は、輸出されるコンテンツになっていくのではないでしょうか。
泉尾さんの場合、彼の技術力と理論的に物事を伝える能力が、海外のセラピストにも、そして彼と協力関係を結んだ現地の業者にも伝わったのだろうと思います。
そして、彼のスタンスで重要だと私が思うのは、頑なに従来のやり方にこだわるのではなく、海外の生徒たちの目線に合わせて教え方を変えていることです。
教える技術の芯の部分を変えずに、表現を変えられる。その柔軟性こそが、これから日本のセラピストが海外に出て行く際に大切となるのではないでしょうか。
きっと日本には、これから海外進出を考えているセラピストはいるはずです。
すると、泉尾さんのスクールだけでなく、現地の事業者と繋がり、セミナーなどを開催する方法自体が、貴重な実例になるはずです。
泉尾さんには先駆者としての歩みをこれからも進めて欲しいと願っています。
心月整体院