1996年より27年にわたって、オーストラリアのクイーンズランド州ゴールドコーストを拠点に活躍する、マーティー松本さんのセラピストライフをご紹介します。
現在、松本さんには3つの顔があります。
1つは、ゴールドコーストにある世界的リゾートホテル「メルキュールゴールドコーストリゾート」内にあるサロン「Future Therapy Remedial Massage & Spa」でお客様をお迎えするリメディアルセラピストとして顔。
2つ目は、セラピースクール「Future Therapy Academy Australia」の代表として顔。
そして3つ目は、リメディアルマッサージの認定試験制度を管理・運営する「世界アドバンスセラピー認定試験機構(WATEC)」の代表としての顔です。
リメディアル(Remedial)とは「治療、改善」の意味を持つ言葉で、リメディアルマッサージはリラクゼーションよりも症状の治療や改善に重点を置いてオーストラリアで生み出されたメソッド。
アロマセラピー・リメディアルマッサージは解剖学・生理学・病理学の知識をベースに、クライアントさんの不調に応じて精油を使い分け、オーダーメイドで施術を組み立てることに特徴があります。
オーストラリアでは各州ごとにディプロマが認可され、リメディアルマッサージのディプロマ保持者が施術するマッサージは、民間医療保険が適用されるとのことです。
メルキュールゴールドコーストリゾートには世界各国から旅行客が訪れ、バカンスの楽しみの1つとしてサロン「Future Therapy Remedial Massage & Spa」の利用をするそうですが、体調改善を目的とする多くの地元住民にも親しまれているそうです。
Future Therapyサロンがあるメルキュールリゾートホテル
「世界的なリゾート地ですから、いろんな国の宿泊客がいらっしゃいます。普段はゴールドコーストに住んでいるオーストラリア人の地元の方が多いですが、週末になるとホテル客が増えますね。お客様が訴える症状は、肩こり、首こり、腰痛の方は多いです。あと、膝が痛いだとか、腕がしびれるとか、筋肉痛だとか、いろいろです。これまで何十ヶ国という人に施術をしてきましたが、肩、首、腰の不調というのは、万国共通ですね」(松本さん談)
なお、松本さんは、オーストラリアの「Future Therapy Academy Australia」でリメディアルマッサージの指導を行っており、ここにはオーストラリア在住の方だけでなく、自分の技術をもっと高めたいと、仕事を休んで渡豪される日本人セラピストの方たちや、ワーキングホリデービザでオーストラリアに在住している若者で技術習得をして日本に戻りたいと考える人たちも通っているとのこと。
そして、このスクールに準じた授業をオーストラリア以外の日本でも受けられる仕組みとして、全国17か所にWATEC(世界アドバンスセラピー認定試験機構)認定スクールが認定インストラクターたちによって運営されています。
オーストラリアという異国の地でリゾートホテルにサロンを作り、世界各国のお客様の体に触れることで施術スキルを磨き続けてきたマーティー松本さん。
聞けば、彼がセラピストになったのは40歳の頃だったそうです。
彼がどのような歩みでセラピストになり、そしてどんなセラピストライフを送ってきたのか。インタビューでお伺いしました。
ライフスタイルを変えるのは今しかない、今やらないと。
岐阜県で生まれ育った松本さん。
子供の頃の彼は、お母様いわく「ドがつくほどの真面目な性格」で、松本さん本人も「何かに取り組む時は、かなり集中してまっすぐにしか進めない。そんな性格ですね」と振り返ります。
また、子供の頃から独立志向もあって、「将来の夢」を訊かれた時には「会社の社長」と答えていたそうです。
松本さんは大学進学を機に上京して経営学を学び、1年間ほどのアメリカでの語学留学もしています。
大学卒業後は、企業に就職。大学で学んだ経営学と英語力を活かして、自動車部品の貿易関連の部署で働いていたそうです。
そこで2年ほど勤める間に、もっと経営学とマーケティング力を深めたいという意欲と、もう一度アメリカへ行きたいという気持ちが湧き上がってきて、松本さんは離職を考え始めます。
1980年代は、ひとつの会社に勤め上げるのが当たり前の時代。
転職の心理的なハードルは高く、ましてや学びのために離職することなど、考えられなかった時代でした。
松本さんは散々悩み、迷いながらも情報を集めて、再びの海外留学への気持ちを固めていったようです。
ある日、松本さんは「オーストラリアではほとんどの大学が国立で、授業料が無料。入学条件としては、オーストラリア大使館の語学テストをパスできればよい(当時の話)」ということを知り、お父様に「オーストラリアに留学したい」と相談をしたそうです。
すると、お父様も息子の決意の硬さを感じ取ったのでしょう。「どうせ海外で経営学やマーケティングを学ぶのであれば、その分野で先進国のアメリカに行けばいい。費用は何とかしてやるから」と、再び渡米することを勧めてくれたそうです。
「日本の大学で経営学を学んだので、アメリカの大学院で経営学をさらに学べないかと調べました。その中で、MBAの取得にチャレンジしてみたい、という気持ちが芽生えまして。MBAなんて限られた人しか取れないような資格ですからとても不安はありましたけど、それを目標にしてアメリカに行くことにしました」(松本さん談)
当時、MBA(Master of Business Administration。経営管理学修士)といえば、大手商社のエリートが経営幹部になるために会社の研修費で取得するような資格です。(実際、松本さんが留学した学校にも、日本の一流企業から派遣された方達がいたそうです。)
当然、大学院に入ることも簡単ではありません。
松本さんは、コロラド大学のMBA取得のための予科コースで4ヶ月くらい学び、その後、ダラス大学のMBAの予科コースで勉強しながら、ダラス大学の大学院の受験準備をしたそうです。
そして、見事に入学し、連日連夜の死に物狂いの勉強と努力の末にMBAの取得を果たします。
帰国後、松本さんは日本のOA機器メーカーに2年勤めた後、世界№1のアメリカ総合化学メーカーに転職。そこでMBAと語学を活かして、10年ほど勤めることになります。
こうしてトップビジネスマンとして歩んできた松本さんですが、40歳を目前にして、これからの生き方についてふと考えたそうです。
「人生80年とすれば、今は折り返しの年。このままで良いのだろうか」と。
自身の年齢以外にも、進む道を変える理由はいくつもありました。
子ども達に日本以外の伸び伸びとした環境で、英語教育を受けさせたいと思ったこと。いつか自分で事業を興したいという独立志向が心の中にずっとあったこと。人に喜んでもらえる、社会貢献になる仕事に就きたいと思ったこと。
考えるうちに、「ライフスタイルを変えるのは、今しかない。今やらないと、後で後悔するんじゃないか」という思いが積み重なっていったそうです。
アメリカへの移住も考えたそうですが、「どうせなら知らない国も体験してみたい」ということで松本さんが次に思いついたのが、いつかも検討したオーストラリア。
「これから成長していく国」という将来性にも惹かれ、情報を集めている時に目に付いたのがゴールドコーストでした。
「岐阜という山と川に囲まれた土地で育ってるもので、どこか海に対する憧れがあって。しかも、寒いのはあまり好きじゃなくて。それでゴールドコーストという地名を見た時に『黄金海岸』という名前が気になっていろいろ調べたんです。すると、気候も1年を通して温暖だし、ビーチは50㎞ぐらいずっと美しいビーチが連なっているしでなんか良さそうだな、と」(松本さん談)
松本さんはゴールドコーストを下見したいと考え、一軒家とレンタカーを借りて、家族とともに2週間の生活体験をすることにしました。
すると、なんと家族全員がその地を気に入って、移住計画が本格化したそうです。
「今までの経歴をいったんリセットしてゼロに戻すくらいの新たな気持ちで、どう出るかは分からないけど渡豪を決めたわけです。それで、いつ旅立とうかと選んだ日が、平成8年1月18日。そう1と8ばかりのイチかバチかの心境でした」(松本さん談)
なんと、仕事のあてがないままの旅立ち。
しかしリゾート地であるゴールドコーストにはMBAを生かせるような企業は見当たらなかったと言います。
そんな状況からどんな経緯で松本さんがセラピストになったのか? それを訊いてみると、奥様のためにアロマセラピーのスクールを探したことがきっかけだったそうです。
生涯現役のセラピストであり続けたい
松本さんの奥様は、日本でもアロマテラピーを独学で勉強し家庭で実践していていたとのこと。
そこで、オーストラリアでアロマセラピーの資格を取得してみたい、という話になり、松本さんは情報を収集することになったのです。
その時に、あるスクールにアロマセラピー・リメディアルマッサージのディプロマコースが新設されるという情報を見つけたのです。
当時は、まだリメディアルマッサージは主流ではなく、クイーンズランド州内でディプロマコースがあるのは2校しかない頃でした。
「これから成長する新しいメソッド」ということも、松本さんが興味を惹かれた点でした。
そして、実際にアロマ・リメディアルマッサージの施術を受けたところ、その気持ち良さに感動し、松本さんは奥様とともに学び始めたそうです。
「いわゆるオイルマッサージにありがちな優しいストロークだけでなく、軽く撫でることもあれば、強くストロークしてくる部分もあったりして、すごくメリハリ感がある。それに、症状に合わせて精油をブレンドして使ってくれる。私も肩こり、首こりがあるんですけども、多彩なテクニックを駆使してそういった部分に集中してくれて、施術後にとても楽になっていたんです。今までこのような経験をした事はない、”気持ちよく、しかも効くマッサージ”そんな感覚でした」(松本さん談)
ここでも松本さんは持ち前の集中力を発揮してアロマ・リメディアルマッサージを学び、スクール卒業間近の頃に自宅を増築して、サロン用のスペースを設け、自宅サロンの開業を準備しました。
しかし、ゴールドコーストでは住宅地域と商業地域がはっきり区別されていて、残念ながら開業許可が下りませんでした。
そんな失意の中、松本さんに声をかけてくれたのが、マッサージスクールの校長先生。
「ゴールドコーストにオープン予定のリゾートホテルで、施術とサロンの運営をできる人間を探している」ということでした。
偶然訪れた絶好の機会を得て、松本さんは施術の審査を受け、ビジネスプランのプレゼンテーションをしました。
その結果、複数の候補者がいる中で最終的に松本さんが選ばれたのです。
選考者からは後に「あなたがベストだった、高い技術と熱意を感じた!」と伝えられたそうです。
松本さんに高い技能があることはもちろんですが、事業を委託する側としても「MBAを持ったセラピスト」という人材は貴重だったのではないでしょうか。
こうして松本さんは世界有数のリゾートホテルのサロンを任せられることになりました。
ですが、本当に大変だったのは選ばれてからだったとのこと。
サロン開設にはいくつもの許認可が必要だったのです。
これには、長くビジネスマンとして働いてきた経験が大いに活かされたそうです。
「サロンをゼロから作るために、ゴールドコーストのシティカウンシル(市役所)にいろんな届け出をしなくてはいけなくて、クリアしなきゃいけない要件もたくさんありました。オーストラリア人でもよく分からないような複雑な手続きを私一人でやりましたから、めちゃくちゃ大変でした」(松本さん談)
そうした運営側の大変さもさることながら、松本さん自身もセラピストとして現場に立つのですから、輪を掛けて大変だったはずです。
「実際にお客様の体に接してみていかがでしたか?」と私が質問すると、松本さんは「ずっと人に喜んでもらえる仕事に就きたいと思っていたのでね」と嬉しそうな笑顔でこんな話をしてくれました。
「ゴールドコーストには世界中を旅行してるような富裕層も来るんです。彼らにはマッサージ好きが多くて、何度も受けているぶん善し悪しが分かる人が多い。そうした人たちから施術後に言われるんですよ。『あなたはベストだよ。今まで受けてきたマッサージとは違うね』って。それも1人だけじゃなくて、いろんな人にね」(松本さん談)
国籍も年齢も性別も多様な人々に純粋に喜ばれるという、まさにセラピスト冥利に尽きる瞬間に、松本さんはビジネスマン時代では感じられなかった手応えを感じ、さらに技術を高めていったそうです。
「私がやってきたのは、どんな人にでも愛情を注ぐこと。きっと愛情が人の手にも表れるんですよね。手から良いエネルギーだったり、波動だったりが出てるんじゃないかな。そういう気持ちで接すれば、お客様と自分のチューニングもできるので、考えなくても自然と手がお客様の触れて欲しいところ、不快感があるところ、凝っているところにいったりする。そういうことがあるんじゃないかな」(松本さん談)
サロンで出会ったお客様に愛情を注ぎ、喜びの言葉を返してもらう。
それは、言葉も国境も超えて人類に共通するプリミティブな喜びなのかもしれません。
そうした良いエネルギーの交換が、松本さんに27年のセラピストライフを歩ませてきたということなのでしょう。
これからのビジョンを訊くと、松本さんはすぐに「生涯現役セラピストであり続けたいよね。元気でいる限りはずっと続けられる仕事だし、アカデミーで生徒に伝えるにも指先が枯れてしまってはダメでしょ?」と笑顔で答えてくれました。
1人のセラピストであると同時に、世にセラピストを送り出す役割も、松本さんは喜びとともに担っていて、出来るだけ多くの後進に自分の経験と技術を伝えたいと語ってくれました。
現在、インターネットや映像を駆使して、場所に限定されずにしっかりと学べるカリキュラムを構築しているとの事でした。
思えば30年前では考えられなかったほどに学びのツールは高度化し、学びのスタイルは多様化してきました。
そして、ツールの進化はこれからも続くのでしょう。
だからこそ、「これから成長していくもの」への興味を持ち続けてきた松本さんのいつまでも柔らかな感性が、若い世代のセラピストのよいロールモデルになっていくように思います。
また、今後は海外での活動を希望する日本人セラピストも増えていくでしょう。
そんなセラピストにも松本さんの経験を伝えていただきたい。そんなことを何度も考えさせられたインタビューでした。
校長からのメッセージ
今回は、オーストラリアを拠点に活動するマーティー松本さんにインタビューさせていただきました。
ちょうど松本さんが帰国している時期に直に顔を合わせる機会があり、この記事の趣旨をお伝えしたところ、インタビューを快諾していただきました。
とは言え、その場でお時間をいただくことはできないので、後日に改めて時間を割いていただいてオンラインでのインタビューになったわけですが、これもインターネットツールの発展の賜物といえます。
お話を伺った中で印象深かったのは、松本さんが世界的な大企業でビジネスマンとして働いた後に、「人生の折り返し地点」でそれまでとはまったく違うフィールドに進んだということです。
しかも、海外でセラピストになったのも、渡豪前には考えてもいなかったのというのです。
渡米の際も渡豪の際も、松本さんは情報収集と準備をしてのことだったかと思いますが、「いざ、出発」となれば、やはり相当な覚悟が必要だったはずです。
その度に、松本さんいわく「イチかバチか」と腹を括って飛び込んでいったという、いわば「ファーストペンギン」な覚悟があったのは、もっと多くの若いセラピストに知って欲しいことだと思いました。
つまり、松本さんが40年ほど前にMBAを取りにいったことも、日本人で最初期にリメディアルマッサージを学んだことも、運や機会に恵まれたと見るか、「まだ一般的ではないが、これから求められるであろうフィールド」に果敢に挑んできたと見るかで、松本さんの生き方から学べることが違ってくるのです。
さて、海外で活動する松本さんとの対談の中で興味があったことの1つに、「日本人セラピストは海外で通用するか」ということがありました。
もちろん、松本さんを初めとした何人もの日本人がすでに海外で活躍しています。
では、どんな点が評価されているのか? それを今回のインタビューの中で垣間見ることができました。
「日本人は、凄く繊細な手、指を持っています。器用さ、繊細さ、きめ細やかさは、日本人のDNAに刻まれているのかもしれません。そういう性質があるから、折り紙みたいな文化が生まれたんだと思うんですよね。そこにセラピーのテクニックの部分が加わると、最高だと思うんです」
「リメディアルマッサージでいわれる『トリガーポイント』は、大きいものだとゴルフボールぐらいのものから、小さいものだと鍼の頭ぐらいの硬結です。トリガーポイントを見つけるには触診をするんですが、指の感覚がセンサーのように鋭くなければいけないので、日本人の方というのは見つけやすいのかもしれません」
「指圧で使うツボとトリガーポイントは、似通った部分があります。私は、1人ひとりの筋肉を触診をして見つける方法と、経絡の位置からトリガーポイントを推測する方法の両方をやっています」
「指圧と似ている部分もあるので、日本人セラピストには合うんじゃないかな。お客さんの方も指圧を知っているし、受け慣れているところもあるから、馴染みやすいテクニックだろうと思います」
「施術の際に僕が気をつけてることは、マンネリ化しないことですね。いかに受ける方を飽きさせないかをいつも考えてます。オイルトリートメントは『横の動き』が中心になりますけど、トリガーポイントに対して垂直に圧を掛けるのは『縦の動き』です。この組み合わせでメリハリが出てくるんですよね」(松本さん談)
こうしたお話から分かるのは、松本さんがオーストラリアで発展したリメディアルマッサージを、ただ学んだように繰り返すだけではなく、自分のバックボーンや経験と融け合わせて新しいスタイルへと成立させているということです。
そうした、いわば「マーティー松本流」のスタイルを、「マッスル・トリガーポイント」と松本さんは呼んでいて、商標登録もしています。
それは、27年間もの期間、男性も女性も、若い人から年寄りまで年齢関係なく、いろんな国の人の筋肉を触ってきてことで培われていったもの。
ですが、今、セラピストとして活動している人、これからセラピストになる人にも、実は可能性は開かれているということも示しています。
「マッサージのいいところは国籍関係なく、どんな国の人でも癒してあげられるところです。それも、この手があればいいというのが素晴らしいと思ってます」(松本さん談)
ただの理念ではなくて、松本さんがその手で実感にしてきたからこそ、この言葉に本当に重みを感じられるというものです。
そして、これを翻してみれば「誰であっても、その人なりの素晴らしい技を生み出す可能性を、その手に秘めている」。
そんな風に読み替えてみると、自分のスタイルを生み出そうと苦心しているセラピストにとって、大きな心の支えになるのではないでしょうか。
世界アドバンスセラピー認定試験機構