なかなか会えない、久しぶりなセラピストとのやりとりってすっごく大切にしてることの一つです。
どんな話になるかは決まってないけど
人には色んな転機ってものがあり
自然とそんな話になるのもやっぱり“時”があるからなのでしょう。
今日も「必要とされること」っていう話になったのですが、
これって。自身の中ではっきりしない時期というのがしばらく続くんですよねぇ。
そのときに割と身近な人というより。
たまにしか接点はないけど、それでも関わりのある人から“ハッとさせられる”言葉を受けたりします。
「必要とされること」って
誰にとっても、、というより
その人にとって、ですから。
色んなカタチがあって自分の願望だけでもなく相手の願いだけでもない、その中から見出され続けることなんじゃないですかね。
そこから何をどうするかってのは。
後から考えてもいいこと。
僕自身も振り返れば
沢山の人の前で話すことよりも
こうして一人ひとりと膝突き合わせて
やりとりすることをどれだけ大切に思ってるか。
なんだかんだといっても僕自身も
一人ひとりに必要とされて
その場面場面で役割を果たしていきたいな
と思ったりするわけですから。