2022年より、東京、代々木上原にて「Maison Kiki(メゾン キキ)」を運営する城崎ゆり子さんのセラピストライフを紹介します。
Maison Kikiで提供されるのは、ボディ、フェイシャル、ヘッドなどのトリートメントに加えて、特徴的なものとして薬膳スープがあります。
城崎さんは国際中医薬膳師であり、お客様おひとりおひとりに合わせて、体の内と外からアプローチするオーダメイドメニューを提供しているのです。
実は、城崎さんは台湾にルーツを持っていて、薬膳はお母様から受け継いだ彼女のアイデンティティの一部でもあります。
「子どもの頃、ちょっと体調が悪いなっていうときには、母が台湾から取り寄せた生薬を使って薬膳スープを作ってくれました。大きく体調を崩す前に薬膳で予防する。台湾では、そうやって『未病』に対応するのが当たり前の文化なんです」(城崎さん談)
こうした特徴もあって、彼女のサロンのお客様は30代以降の女性が多く、中には不妊や月経不順で悩んでMaison Kikiに辿り着いた方もいるのだそうです。
ちなみに、サロン名の「キキ」も、彼女のバックグラウンドに由来しているとのこと。「喜」を2つ並べた漢字「囍」は「双喜紋」といって、結婚などのおめでたいことがあった家の表に飾られる縁起の良いマーク。これを「喜喜」→「キキ」と読み替えて、サロン名にしたとのこと。
こうした城崎さんのこだわりの詰まったMaison Kiki。
ここに長く通うお客様からは、「施術を受けると、人に優しくできる」という感想をいただくことがあるのだそう。
体の内と外からのアプローチするだけでなく、お客様の心にも優しさを贈ることができる。
そんな独自のスタイルを実践する城崎さんは、どういった経緯でセラピストになり現在にいたるのか。インタビューの中で伺いました。
「あなたはマッサージが上手ね」
城崎さんは台湾で生まれ、4歳の頃にお母様の仕事の関係で日本に来ました。
以来、東京で暮らすことになるのですが、当初は言葉が分からなくて苦労したそうです。
当時のお話を聞くと、お母様が薬膳スープを作ってくれた思い出とともに、今の城崎さんへと繋がる思い出を微笑みながら教えてくれました。
それは、見よう見まねでお母様の顔にマッサージをした時に、「あなたはマッサージが上手ね」と言われてとても嬉しかったこと。
その記憶に導かれて、城崎さんは高校卒業後にエステの専門学校に通うことになります。
その後、エステの基礎を身に付けた彼女が選んだ就職先、それは、妊産婦さんにエステなどのサービスを提供している産婦人科医院でした。
エステティシャンとしてではありながら、生命が生まれる現場に接し、そこで働く看護師や助産師たちの姿を見て、城崎さんの心に火が灯ります。
「よし、看護師にチャレンジしよう!」
一念発起した彼女は、働きながら医療系の専門学校に通い、猛勉強の末、大学の社会人入試に合格しました。
しかし、大変だったのは合格した後のこと。勉強について行かなければならないわけですが、さらに彼女を苦しめたのは看護実習でした。
「看護実習が1年生の終わり頃にあって、私は希望して産婦人科に行ったんですけど、そこで出産に立ち会うことになったんです。でも私、そこで倒れてしまったんです。学校でアドバイスを貰って、もう1回立ち会うことになったんですが、今度は切開を見てまたぶっ倒れて、、出産の立ち会いで旦那さんが倒れる話はよく聞きますが、まさか私もそうなるとは思っていませんでした」(城崎さん談)
どうしても出産シーンを直視できないのでは、産婦人科の看護師にはなれない。意気消沈した城崎さんは、2年生に上がるタイミングで学校を辞めることになります。
その後、銀座のサロンでまつげエクステを始めますが、今度は自身の結婚と出産で仕事を離れることに。
さらには、旦那様の海外出張が決まり、城崎さんはお子さんと共にアメリカのヒューストンへと移住します。
「テキサス州のヒューストンはちょっと田舎で、家もすごく広い。私はすることがなかったので、余った部屋でエステをしようとなって。同じ駐在の奥様たちに声をかけたら、とても喜んでいただけたんです」(城崎さん談)
そうしているうちに「フェイシャルだけでなく、ボディケアもしてほしい」というリクエストをもらうようになります。
当時、ボディについては技術も経験も乏しかったこともあり、城崎さんは改めて学べる場所を探すことにしました。
実はその行動がその後の彼女の人生を大きく変えていくのです。
どうすれば、あなたのようになれるのですか?
残念ながら当時のヒューストンにはボディケアを学べる場がなく、城崎さんはニューヨークに住む日本人鍼灸師のもとを訊ね、そこで解剖学を元にしたテクニックを受講することになりました。
その鍼灸師から教わる中で、城崎さんはふと「先生自身が疲れた時には、どこでケアするのですか?」と尋ねたところ、ニューヨークで活動する別のセラピストを紹介されたそうです。
俄然興味を持った城崎さんは、講座後にタクシーに飛び乗り、紹介されたセラピストを訪ねます。
その時に受けたトリートメントの素晴らしさに衝撃を受け、城崎さんは思わず言ったそうです。
「どうすれば、あなたのようなトリートメントができるようになりますか」と。
すると、そのセラピストは喜んでこれまでの経験について話してくれたそうです。
そして、自身の経験から「高いランクのホテルスパで経験を積んではどうか」というアドバイスをもらいます。
そのセラピスト自身も、技術だけでなくセラピストにとって大切なことを、ホテルスパに勤める中で学び、体得したということでした。
最高ランクのホテルといえば、当然、国際色豊かなお客様が泊まります。
そのスパで働くのであれば語学は必須です。台湾出身で北京語が話せたこともあり、英語力をもっと伸ばせばホテルスパに勤められるのでは?
そう考えた城崎さんは、外国人向けに開講している「ESL(English as a Second Language、第2言語としての英語)」という英語教育プログラムに参加して、猛勉強をしました。
そして、世界的に有名なホテルに「スパセラピストを募集していないか」と何度も問い合わせたそうです。
1年近くも粘り続けたある日、ついに「募集していますよ」という返事をもらうことができたのです。
その場所は、なんと東京日本橋にありスパにも力を入れている国際的な高級ホテル。
こうして城崎さんは日本に帰国することになったのです。
「2019年4月からホテルスパに雇われたのですが、それからがまた壮絶でした。普通は1ヶ月の研修で基本のトリートメントを身に付けて、お客様への施術に入ることを許されるのですが、私はぜんぜんOKがもらえないんです。手技は順番通りにできているし、時間内に間に合っている。なのにデビューさせてくれない。どうして? 何が足りないの? と焦るばかり。当時、ご指導をいただいた先輩に対しては、心苦しさでいっぱいでした」(城崎さん談)
そんなある日、指導役の先輩にこんなことを言われたそうです。
「ただ仕事をこなすだけの手になっているよ」「あなたは施術を受ける人に向き合っていないんじゃない?」と。
確かに、決められた手順を守ることは、一定のクオリティを担保するためには必要なことです。
しかし、セラピストにとってもっと大切なのは、施術を受ける人がどう感じているかです。
受け手は「セラピストが自分に意識を向けてくれているか」「自分のためだけを考えて施術してくれているのか」を敏感に感じ取るものです。
「自分に足りないものがわかってからは、先輩たちの振る舞いをよく観るようになりました。その中で、お客様に向き合うことを学び、さらにそれを突き詰めれば自分自身に向き合うってことなんだと気づいたのです。セラピストってこんなに奥が深い仕事だったんだと、ますますこの仕事に入っていきました」(城崎さん談)
入社後3ヶ月でようやくスパセラピストとしてデビューできた城崎さんは、その後3年の間、おひとりおひとりのお客様に向き合い続けたそうです。
施術を受ける相手に心から共感し労わる。
その繰り返しのなかで、城崎さんは自分の手が変わっていくことを実感したそうです。
施術は、手順をこなすだけの「点」ではなく、それぞれに違うお客様の体の上で滑らかな「線」になり、その方のためだけに生まれた「流れ」になっていきました。
「お客様のお体と自分の手が一体化するような感じです。体もそうなんですけど、意識もマーブルのように混ざるという感覚です。その状態になった時に、すごくいい施術になるのかな。お客様にも、すごく良かったと言ってもらえることが多いんですよね」(城崎さん談)
やがて彼女の中で「スパホテルよりも、もう一歩踏み込んだ工夫ができるのではないか」という気持ちが強くなっていきます。
そして2022年2月、ついに城崎さんは自分のサロン「Maison Kiki」をオープンさせます。
「あなたの施術を受けると人に優しくできるの」
ただ、それまで施術してきたホテルスパのお客様は一時滞在の富裕層が多く、しかもセラピスト自身が集客をしなくてもホテルのネームバリューでお客様が集まってきました。
しかし、独立してサロンを開業すれば、これまでとはまったく違う客層をお迎えすることになり、当然ながら集客も自身でしなければなりません。
しかも当時は、まだ新型コロナへの警戒心が残っていた時期。城崎さんのサロン運営は、完全なゼロスタートでした。
「最初は、友人に協力してもらって、五千枚のチラシをポスティングしました。あと、1年だけ大手のサロン検索サイトを利用しましたね。最初こそ多くの人の目に触れることを意識しましたが、その後はできるだけ『私にトリートメントをしてほしい』という方に絞りたかったんです。チラシを見てオープン当初に来てくださった数名の方が今でもリピートしてくださっていますし、一度来店された方からご紹介いただけるようになって、徐々にリピーターさんが増えていきました」(城崎さん談)
城崎さんに施術に対するこだわりを聞くと、「お客様に対して誠実にいること」と「ネガティブワードを使わないこと」だと教えてくれました。
「お客様に対して誠実にいること」で具体的にどんなことが起きるのかというと、施術内容が固定化されなくなります。お客様の体は毎回変わるし、季節も変わるからです。
いつも同じ状態の人などいないし、城崎さんいわく「その季節のものを取り入れるのが、薬膳の基本のキ」なのですから、誠実に対応するならば前回と同じ施術内容にはならないというわけです。
こうした対応によって、お客様は「私のことをちゃんと見てくれている」と感じ、セラピストへの信頼感へと繋がります。また、お客様に飽きさせないポイントにもなったそうです。
また、「ネガティブワードを使わない」のは、サロンにいる間は前向きな気持ちでいて欲しいという願いから。
お客様が自らの奥にある美しさや、健康になろうとする生命力、自分の大切さに自らから気づいてもらえるように、時にはシミやシワすらも「頑張って生きてきた証」としてプラスに変換できるように、城崎さんは言葉を掛け、施術を行っているといいます。
長く通うお客様から「施術を受けると人に優しくできる」という感想をいただけるのは、こうした城崎さんの思いがお客様に伝わり、お客様も「誰かに優しくしたくなる」からなのではないか。お話を聞く中で、私はそんな風に思いました。
「オイルトリートメントで素肌に触れるのですから、良くも悪くもお客様の本質に触れることになります。反対に、セラピスト自身の思いも施術する手によく表れていて、それはお客様に伝わります。だからこそ、お客様に誠実に向き合うことは大切で、同時にセラピストは自分の軸をしっかり持っていないといけないわけです」(城崎さん談)
今回のインタビューの中で、城崎さんは「良いことも悪いことも、私が経験してきたことは、すべて私の財産です」と笑顔で過去を振り返ってくれました。
誰もが人生の中で挫折したり、思わぬ遠回りすることはあるでしょう。
しかし、すべての経験をプラスに変えようとするメンタリティこそ、癒やし手たるセラピストの真骨頂であり、それが手技以外にお客様を惹きつける大切な要素になるのではないでしょうか。
そして、互いに信頼できるお客様と長く、深く繋がることで、やがてセラピストは進むべき新しいステージを見出し、成長していくのです。
そういう意味では、すべてのセラピストがいつでも成長期だといえます。
城崎さんとMaison Kikiが今後、3年、4年、5年、、、と歩み続けるうちに、どんな成長を遂げるのか。それを楽しみにインタビューを終えました。
校長からのメッセージ
今回は、各種トリートメントと薬膳スープを組み合わせて、「人に優しくなれる」サロン体験を提供している、城崎ゆり子さんのセラピストライフをご紹介しました。
彼女は2024年6月5日に開催された「アジアマッサージチャンピオンシップ」のオイルマッサージ部門で8位になっているのですが、これに関連して本編で触れられなかった、彼女のもう1つの活動について、ここでお話します。
城崎さんはサロン運営と並行して、都内の児童養護施設に訪問し、施設職員に対してトリートメントを行う活動もしています。
以前に、この連載記事でも小児科や高齢者施設でセラピーを提供する事例をご紹介しましたが、児童養護施設というのは初めてのケースです。
そのきっかけを訊いたところ、「セラピストという仕事を社会貢献としても活かせるのではないかと思っていて」と城崎さんは笑顔で答えてくれました。
「児童養護施設の子どもたちは、成人になる頃にはそこを出て独り立ちしなきゃいけません。でも、親の後ろ盾がない子たちなので、将来について道が閉ざされてしまっているかの思いになる子もいます。そんなときにセラピストの仕事の素晴さを伝えられたらいいなって思って」(城崎さん談)
確かにセラピストという仕事は学ぶ意欲と共感性があれば、学歴など関係なくチャレンジでき、進むことのできる道の一つです。
それに、子どもたちにとって直に接する機会が少なく、目指す職業にはなかなか入ってこないのが現状です。
城崎さんは、都内のいくつもの児童養護施設に「お金をいただくつもりはないので」と電話をかけて、受け入れてくれる場所を探したのだそう。
ですが、残念ながらどこもお断りされてしまいます。
考えてみれば、職員さんたちにとっても「セラピスト」は未知の職業であろうし、前例もないのですから、慎重になるのは無理もありません。
現実に阻まれて悩む城崎さんに、ある日1本の電話が入ったそうです。
それは「児童養護施設の先生に対して、心と体のケアをお願いできませんか?」というもの。
私も社会福祉関係の大学を出ていて、児童養護施設の大変さは友人から耳にしたことがあるのですが、その仕事は思った以上に激務です。
交代しながらとはいえ夜勤もあり、施設は24時間365日休むわけにはいけないし、心の不安定な子どもたちに寄り添うことを使命としているからです。
職員自身が心身のバランスを崩して休職し、さらには退職してしまう方も少なくないと聞いています。
城崎さんに声を掛けてくれた施設も、職員の心身の健康をどうすれば維持し、休職や退職を防げるのかと、様々な模索していたそうです。
その中で城崎さんからの申し出があり、「施設へ出張という形でしたら」と声をかけてくれたのです。というのも、福利厚生の一環でリーズナブルに施術を受けられるとしても、貴重な休日にサロンに足を運ぶのは、先生たちにとってはハードルが高いようなのです
こうした経緯で、城崎さんは週に1、2回ほど、児童養護施設に出張施術を行うことになりました。
「最初は体がガチガチで、夜勤もあるから生活リズムも狂いやすくて、皆さん、心も体も疲れていることがすぐに分かりました。出張を始めて1年が経ちますが、だいぶいい感じになってきましたね。施術を受けた方も体が変わったことを自分で実感していて喜ばれているのですが、ここでもサロンに通っているお客さんと同じこと言ってくれるんです。『施術を受けると人に優しくできる』って」(城崎さん談)
今は職員向けに施術をしていますが、ここで信頼を得れば、当初思い描いていたように子どもたちにセラピーを体験してもらい、セラピストの仕事に興味を持ってもらう機会も生まれるかもしれません。
ちなみに、城崎さんが「アジアマッサージチャンピオンシップ」に出場したのも、一つの実績を作ることで社会的な信頼を得ることが目的だったのだそうで、今後も国内外の大会にチャレンジしていこうと考えているといいます。
「いつか養護施設の子どもたちの中から『セラピストなりたい』って子が出てきたら、私が技術を教えて、その子にその施設のセラピストを引き継いでもらうんです。そうやって、この活動を広げていけたら、なんて夢のようなことを考えています」(城崎さん談)
私も常々、子どもたちが思う「将来の職業」にセラピストが入ることを夢見てきた一人です。
城崎さんの夢は、セラピスト業界にとっても未開拓な道です。
しかし、その道を、使命感を持ちながらもワクワクしながら歩み始める人がいなければ、その先が拓けないことも確かです。
城崎さんのように、積極的にサロンから出て活動するセラピストは、今後、ますます増えていくでしょう。
私が見聞きする範囲だけでなく、きっと私の知らないところでも新しい道を開拓しているセラピストはたくさんいるのだと思います。
これまでのセラピスト像から新しい日本的なセラピスト像へと、今はまさに変革の時期を迎えているのかもしれません。
Maison kiki