富士山のふもと、山中湖に居を構えながら、横浜と南紀白浜にも活動拠点を持ち、サロン経営に留まらない多角的な活動をしている、アロマセラピスト宮武直子さんのセラピストライフを紹介します。
宮武さんはセラピスト歴20年。株式会社ドルフィンズ代表、横浜の完全予約制サロン「Aroma Dolphin(アロマドルフィン)」オーナー、Global(グローバル)セラピスト学院学院長として活動するほか、スキンケア用品「jolve organic(ジョルブ・オーガニック)」の開発・販売、南紀白浜の外資系高級ホテル内スパの運営、エステティックサロンへの技術指導などをしています。
宮武さんのセラピストライフの原点であるサロン「Aroma Dolphin」のキャッチコピーは、「世界を旅する隠れ家アロママッサージ」。
カリブ海、ドバイ、タスマニア島、エーゲ海など、宮武さん自身が世界各地の一流スパに訪れ、実際に体感した技術を取り込んで構築した、オリジナルメニューを提供しているのだそうです。
その実力は、看板も広告も出さず、ブログとクチコミのみで(客単価3万以上)リピート率90%以上を維持してきたという実績から推して知るべし、というところでしょうか。
「私自身が旅行好きなこともあって、海外に行くたびに現地で施術を受けてきました。最近は、カタールで高級ホテルやビジネスクラスのラウンジにあるスパでも受けました。高いのから安いのまで全部受けるんですね。台湾の5つ星ホテルでも、タイやタンザニアの普通のホテルでも受けましたよ。その中で『こんなやり方があるのか』っていう良い技術を自分のサロンに取り込んできました」(宮武さん談)
こうした工夫の積み重ねによって生み出されたオリジナルのサロンワークが、高いリピート率を実現し、ホテルスパの運営、スクールの開校へと繋がってきたようです。
現在、元町・中華街周辺のサロンはリピーターのみの予約制になり、新規客は受け付けていないとのこと。
宮武さんは自然豊かな山中湖で生活しながら、国内を西へ東へと飛び回り、ときには世界の国々へと旅をする。そんな日々を送っています。
宮武さんご自身が「旅と自然をこよなく愛する自由人」と表するような自由なセラピストライフは、どのように始まり今に至るのか?インタビューの中でうかがいました。
こんな気持ちの良い世界があったのか
岐阜県出身の宮武さんが関西の大学を卒業するときに就職先として考えたのは、経営コンサルタントか報道記者でした。
「テレビ局は新卒でないと難しい」とされていたことから、まずはテレビ局への就職を目指しましたが、残念ながら採用されず、翌年に再チャレンジすることになります。
そんな折り、たまたま目にしたケーブルテレビの求人に応募したところ、すんなりと採用されたそうです。
ただ、そこは唯一の初代制作スタッフとして、宮武さん自身で企画して、カメラを担いで取材した後に、動画編集してナレーションを入れるような、まさに「ひとり放送局」状態でした。
そこで3年ほど忙しくも充実した日々を過ごすうちに部下もつくようになったのですが、ある時、宮武さんはふと思ったそうです。
「それまでカメラアングルから全部自分で拘って決められていたのが、マネージャーになるとそれが出来なくなったんです。そうしたら思っちゃったんですよ。ちょっとつまらないなって。でも、今からキー局に移れたとしても、タイムキーパーでストップウォッチばかり見ることになりかねない。それでは満足できないと思ったんです」(宮武さん談)
そこで進路変更して目指すことにしたのが、就活の際にも候補に挙げていた経営コンサルタントでした。
ただ、社会人として大きな会社組織を経験していないこともあり、宮武さんは「まずは勉強」と考えて、帝国データバンクの調査員になります。
いろいろな会社を訊ね、経営者に経営状況などの話を伺い会社に評点をつける、という、テレビ局とはまったく異なる仕事です。
この仕事をするうちに経営について学ぶ必要を感じた宮武さんは、グロービス経営大学院でMBAの学位を修めることにするのですが、勉強する中で、経営戦略とマーケティングにやり甲斐を覚えたそうで、「ご飯を食べるより、寝るより楽しかった」と当時を振り返ります。
「マーケティングに強いコンサルタントになろう」宮武さんはそう考えたのですが、同時にこんなことも考えました。
「経営者さんは、自分で経営をしたことがない人にアドバイスされたくないのではないか。ならばコンサルになる前に何か起業をしよう」と。
では、どんな会社を作るか? 小資本で始められて利益率が高いものを探しましたが、すぐには見つかりませんでした。
そんなある日のこと、宮武さんが渋谷の街を歩いていると、いわゆるキャッチセールスに声を掛けられます。
「アロマに興味ありませんか?」
それまでに整体を受けたことはあっても、アロマテラピーは未経験だった宮武さんは、興味本位で受けてみることにしました。すると、
「こんなに気持ちの良い世界があったのか」
宮武さんは施術の気持ち良さに驚くとともに、経営的にも可能性があることに気が付いたそうです。
「マーケティングは面白いのだけど、いかに他社を出し抜くか、大手の隙を突くかという、まさに『生き馬の目を抜く』ような世界です。でも、アロマサロンだったら、お客さんも自分もハッピーになれる世界。しかも、小資本で1人でも始められて利益率も高そう。単身の人が増え、パソコンが普及する時代には、人の温もりを求める人が増えるのではないかとも考えました。もともと自然が好きだったこともあって、これはいい仕事だって思いました」(宮武さん談)
アロマの知識がまったくない状態にも関わらず、サロン経営に可能性を見いだした宮武さんは、さっそく下調べをしてアロマスクールに通い始めます。
ただ、マーケティングの仕事の合間を縫っての勉強だったこともあり、卒業までに2年近くもかかったそうです。
とはいえ、勉強と並行してサロン探しも進めていて、資格取得前には物件を契約してそこに住み始めていたということですから、彼女の計画力と行動力には驚かされます。
こうして2005年10月、当時33歳の宮武さんはサロン「Aroma Dolphin(アロマドルフィン)」をオープンさせることになるのです。
「私は、それぞれの人が思う『幸せ』を実現するのが、最高の人生だと思ってます。そのためには、心身が元気じゃないといけない。そのためには、ストレスがないことが大切になります。その考えから、私のサロンは『ストレスからの解放』に特化することにして、『究極のリラクゼーション』を標榜しています」(宮武さん談)
サロンとしては、心身の不調の改善を謳ったことはないとのことでしたが、もしそうした悩みを抱えたお客様がいたとしても、深くリラックスし、ストレスから解放されることで、結果的に不調が解消されることも少なくないそうです。
オイルを用いてのボディケアやフェイシャル、ヘッドスパなど、お客様お一人おひとりが本当に望むセラピーを丁寧に提供する。
そんな日を続けているうちに、いつしかリピーターだけで枠が全て埋まるようになります。
また、2014年には、お客様がご自宅でセルフケアをできるようにと、女性ホルモンに着目した天然100%のオリジナルスキンケアブランド「jolve organic(ジョルブ・オーガニック)」を開発し、販売を始めます。
そして、サロンオープンから10年が経った2015年に法人化も果たしたのでした。
「南紀白浜の外資系高級ホテルには、どんな経緯で関わることになったのですか?」
私がその話題を出すと、宮武さんは「ちょっと長い話になりますが、これが面白いんですよ」と笑顔で答え、紆余曲折を話してくれました。
その人が望む幸せを実現すること
宮武さんが旅行する目的の一つに「大自然に触れること」があり、毎年の正月は富士山の麓のホテルに泊まり、温泉に浸かりながら過ごすのが長年の恒例なのだそうです。
ところが、2016年はいつものホテルの予約が取れず、代わりに山中湖のペンションに行くことになったのです。
予定外のことになったものの、宮武さんはそのペンションや周辺の環境を気に入り、庭を見たときに「ここでアウトドアスパができるのではないか」と閃いたそうです。
海外では屋外で提供するトリートメントをよく目にしますが、日本ではほとんど行われていないのが現状で、宮武さんはかねてから日本でもアウトドアスパができないかと考えていたといいます。
さっそくペンションのオーナーに相談したところ、このアイディアはその年の夏に短期イベントとして実現しました。(このアウトドアスパは、開催地を変えながら、不定期で行われています。)
そして、この時の短期滞在がきっかけになり、宮武さんは2017年3月に山中湖に移住したのでした。
この移住のために、サロンを開ける日を常連さんの予約が入った日に絞り、さらにサロンの場所を移すことで、山中湖と横浜の2拠点生活ができる状況を整えたそうです。
ちょうどその頃、山中湖に外資系高級ホテルが進出することになり、その話が宮武さんの耳に入ります。
「山中湖でセラピーを提供するなら、観光客をターゲットにするべきだろう」と考えていた宮武さんは、そのホテルに問い合わせ、スパのプレゼンをする機会を得ました。
そして、見事に採用、、、されたのですが、その後、諸事情によりそのホテルにはスパが作られないことに。
ですが、その代わりにホテルから提示された案に宮武さんは思わず驚きと戸惑いの声を上げたそうです。
それは、新しくオープンする南紀白浜のホテルでもスパのプレゼンに参加してみませんか、というものでした。
「私は大学が関西だったこともあって、実は和歌山へは行きにくいなという印象があったんです。だから、正直少し戸惑ったのですが、あちらから声が掛かるって一生に1度あるかないかのチャンスじゃないですか。経営者目線で考えれば、これは断っちゃいけないんだろうと」(宮武さん談)
宮武さんは再び、得意のマーケティングを活かしてプレゼンをし、見事に採用。そして、2017年に「jolve SPA(ジョルブ スパ)」をオープンさせます。
ホテルの最上階、オーシャンビューの癒やしの空間で、宮武さんが培ってきたサロンワークと、オリジナルスキンケア用品を用いたスパが提供されるようになったのです。
さらに、ホテルスパで活動するセラピストを育成するために、Globalセラピスト学院を開始。
このスクールは完全個別指導で、スパの従業員でなくとも、学びを求めるセラピストを受け入れているとのこと。
最近は、地方のサロンに招聘されて集中講座も行っているそうです。
こうした流れで、山中湖に住みながら、東へ西へと飛び回りながら、横浜のサロン、南紀白浜のホテルスパ、そしてセラピースクールを運営する、という現在の宮武さんのセラピストライフは出来上がってきたのです。
最後に、私がセラピストとしてのポリシーを聞くと、宮武さんは少し考えてからこんな話をしてくれました。
「私の根幹にあるのは、その人が望む幸せを実現することなんですね。そのために私がいるという感覚で、私自身がどうしたいかというのは、あんまりないんですね。ちょっとおこがましいかもしれませんけど、私はセラピーを通してお客様を幸福の方へ導きたいと思っています。人生は選択の連続だとよく言われます。何を選ぶかはその人の自由なんだけれど、話を聞いているとハッピーな道がどっちなのかってわかるじゃないですか。だから、お客さんが自分からそっちに行きたくなるように案内していくような感じです。だからかわかないけど、私と話していると元気になるってよく言われるんです」(宮武さん談)
日常生活でストレスを感じていると、気分が落ち込むだけでなく、頭が硬くなったり、視野が狭まっていく感じがします。
たとえ、一時でもストレスを取り去り、リラックスできれば、思考が自由になり、視野が広がったりして、新しい気付きやアイディアが浮かぶことがあります。人の意見を素直に聞けたりもするかもしれません。
そうしたストレスを手放す瞬間を求めて、海や山に出かける人も少なくないでしょう。
もちろん、サロンでセラピーを受けてもいいわけです。
そう考えると、宮武さんがいう「その人が望む幸せを実現する」ことも、セラピストがお手伝いできるのことの一つに数えてもいいのではないでしょうか。
むしろ、リラクゼーションを追究できるセラピストならではのアプローチとも言えます。
宮武さんのインタビューの中で、旅、自然、自由、リラックス、幸せといったキーワードが出てきました。
一見してバラバラにも思えるこれらのキーワードも、彼女の視点で考えると不思議な繋がりが見えてくるような気がします。
そんなことを思いながら、ふと彼女のサロン名を見たとき、大海を自由に旅をするイルカの姿が思い浮かびました。
そんな楽しくもとても興味深いインタビューでした。
校長からのメッセージ
今回は、経営コンサルタントを目指す過程でセラピストという仕事と出会い、以来20年以上のセラピストライフを歩んできた宮武直子さんのインタビューを紹介しました。
最初からセラピストになろうと思ったのではなく、経営者としてセラピストの可能性に気が付いたという点で、とても珍しいケースです。
そんな彼女の考え方をよく表した話題がありましたので、ここで触れておきます。
「サロンをオープンするにあたって、客単価と高リピート率、この2つにはすごくこだわってきたんですよ。たとえば、お客様が高いコースを選びたくなるようなメニューの作り方をしてるんですね。最初の頃は、だいたいの方が1万5000円のもの選ぶだろうという想定でメニュー作りをしていました。そこから、年々続けていくうちに、お客様が自分から高いメニューを選んでくれるようになっていって、最終的に客単価3万円になったんです」(宮武さん談)
セラピストになる以前に何人もの経営者に話を聞く機会があり、さらに経営とマーケティングを学んだ上でサロンを経営するというのですから、おそらくサロンの立地条件などを含めた収支もある程度、見通しが立っていたのだろうと思います。
もちろん、ケーブルテレビで得た、企画立案から放送までを一人で完結させる経験も大きかったのでしょう。
放送する映像の完成までの過程に見通しを立てて、臨機応変に企画を進めることが重要になるはずだからです。
こうした「見通しを立てる」能力は、多くのセラピストにも学ぶところが大きいだろうと思います。
もう1つ、セラピストの育成に関する宮武さんの思いについても触れておきます。
「私が世界を旅してるのは、私の好きなことではありますけど、セラピストってこういう生き方ができる素敵な仕事なんだってことを見せたいのもあるんですね。別に旅行じゃなくていいけど、時間がコントロールできて、経済的にも心配がなくなれば、自分のやりたいことができるってことなんですよ。それができるのがセラピストっていう仕事なんです。せっかく素晴らしい仕事なんだから、そういうセラピストが増えたらいいのにっていつも思っているんです」(宮武さん談)
日本では「セラピストは仕事としてそれだけではやっていけない」、そんな風に言われる場面がよくあります。
そう聞いて生きてきたことで、「セラピスト=生活できない」と思い込んでいる人も少なくありません。
中には、その思い込みから自分を犠牲にしてしまうセラピストもいます。
しかし、現に宮武さんを含めて、経済的な見通しを立てて、多角的にセラピスト業を成り立たせている実例は幾つもあります。
セラピストは、セラピスト自身人生の幸せと、お客様の幸せを両立できる、夢のある仕事です。
しかも、定年もありません。一生をかけて歩み続けられるのがセラピストライフです。
実は、宮武さんは引退の危機を乗り越えているそうです。
「私、3年くらい前に病気になって。これはもう引退かと思い、周りにもそう言っていたんです。だけど、手術しても意外と元気だし、休んでいるうちに体型も変化してきて。それに、私の技術は、太極拳みたいな丁寧な体重移動を徹底した、身体に負荷の少ない動きをするので、もうそれができないというのでは、生徒さんたちに示しがつかないぞ、と。それで横浜のお店を継続することになり、南紀白浜のホテルスパも人が足らないときは私も現場に立っているんです」(宮武さん談)
「旅と自然をこよなく愛する自由人」と聞くと、まるで順風満帆に生きてきたように思えるかもしれません。
自分にはとても真似できないと思うセラピストもいるでしょう。
しかし、それができるか、できないかは、結局のところ考え方次第だったりします。
宮武さんの例で言えば、「できる」見通しに臨機応変を加えて、自分の幸せと、お客様や生徒さんの幸せの両立を諦めずに「できるようにやってきた」ということなのだと思います。
サロンワークや技術はさることながら、そうした思考の持ち方こそ、彼女のセラピストライフから読み取るべき大切なことなのではないか。
そんなことを考えながら、今回のインタビューを振り返りました。