コレ僕にとっての誘惑であり落とし穴とならない様に、なんですが。
“見栄え良い変化”や“劇的な変化”、“一瞬の変化”などがもてはやされる様になって久しく。
発する側は見栄えよく、劇的、速さを切り取って見せていく。
受け取る側の多くも、
他の人よりも◯◯ということを期待し、いつしかそれが基準となる。
これは発信する側となる僕にとって、誘惑であり落とし穴となりうるな…と。
必ずそこには“今ここでの比較”が基準となる。
それは、シンプルに言えば他人軸(同業や同エリアや同ジャンルや、仲間)との比較。
この比較は…終わりがないんです。
そしてインパクトだけが注目されるようになる。発する側、受け取る側双方で。
でも比較をやめて生きていくというのもまた難しく。
で、比較そのものをやめずにそれを終えるとしたら、それは自分との比較となる。
過去の自分との比較。
しかもそれは前年比◯%とか、◯人とか一般化できるものではなく、自分の中での基準で。
それはたいして見栄えも良くなく、インパクトもなく、一見緩やかな変化なんですが、都度切り取れるので“終わりなき息苦しさ”はない。
僕個人においてもいくつかの事をずっと続けてこれたのは、その見方をするようになってから。
ただ実はコレが一番伝えるの、難しい。
なので僕にとっても例のスタンスは誘惑であり、落とし穴となるのだろうなと。(文責:谷口晋一)